ラベル 熊本にあるもの の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 熊本にあるもの の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2008年12月14日日曜日

城主の気持ち

地元のニュースを見ていたら、熊本城の年間入場者数が過去最多を越え、二百万人を突破したと出ていました。
十年ほど前までは入場者数が減少する一方で、70万人程度まで落ち込んでいたのですから、驚きです。

築城の名手と名高い加藤清正によって普請された熊本城は、名古屋、大阪の各城と並んで三大名城として認知されていますが、さすがにお城と言うだけでは、観光客にも飽きられてしまっていたのでしょう。

そこで熊本市の観光起爆剤として熊本城復元を企図し、全国に復元基金への寄付金を募る目的で「一口城主」制度を1998年(07年3月末終了)から始めたのでした。記録によると、寄付金総額は12億円を超え、一口城主は27,154人と言うことです。

その基金を元に西南の役で消失した門や櫓を復元しつつ、今年は復元のメインである本丸御殿大広間が完成し、一般に公開され始めたのです。
まだ復元計画の途上ではありますが、入場者数の大幅な増加には、築城400年祭などのお祭りと共に、この本丸御殿が果たした役割も大きかったのでしょう。

もし熊本まで来る機会がある方は、お城周辺のそぞろ歩きをお薦めします。

熊本城公式ホームページ

熊本城観光体験記


(追記:一口城主制度が09年1月1日から再開されるそうです。寄付者は天守閣内に芳名板掲示と城主証贈呈。個人寄付者には新たに寄付額に応じた無料入城できる「城主パスポート」も贈られるそうですよ。)

2007年2月18日日曜日

阿蘇谷

用事で阿蘇まで出かけました。あいにく曇天時々小雨。阿蘇谷の入り口からは、視界を遮る霧も。
途中、停車してカメラを構えるゆとりもなかったので、仕方なく車中から。
しかし、阿蘇五岳はほとんど雲の中。久しぶりの景色も残念。。。

2006年9月12日火曜日

見られてる?

熊本県民総合運動公園を歩いている時、なんだか後ろから見られている気配(笑)
振り返ると、そこには大きな「瞳」が、じっとこちらを見ている。
まぁ、画をご覧あれ。これはまさしく「瞳」そのものではないだろうか?(笑)

自然が造った造形だが、まるで「木の精」が、すっくと立っているような。

夜だったら、ちょっと怖いかもねぇ。。。(笑)

2006年9月11日月曜日

もう、スポーツの秋?

昨日の日曜日、下の息子がジュニア陸上大会に出るということだったので、ちょっと覗きに行ってみた。会場は2回目の熊本国体時に造られたKKWINGという競技場。県下の中学校の選抜選手が全国大会への切符をかけて競う大会らしい。と言っても我が息子は上位を狙えるような記録を持っているわけではないので、気楽に見物を決め込む。本来の息子の所属クラブはバスケットボールなのだから、出場競技の練習は夏休み期間という、にわか仕込みのものなのだから尚更なのだ。
競技を見ていると、本格的にコーチを受けてきた選手と臨時に選抜されてきた選手との差は歴然としている。第一フォームが全く違う。しかし、見物はなかなか面白かった。これが中学生かと思う位の記録を出す子もいたりして、思わず「おおっ!」とか声を上げたり、拍手したり、久し振りにこうしたスポーツの会場に足を運んで心地よい興奮をもらえた。

その競技会から帰った息子が、「友達がたくさん出来たよ」と嬉しそうに話していた。競技を見ていても、テントの中で和気あいあいとしている様子はうかがえたのだが、参加しなかったら会うこともなかっただろう彼等との交流が持てただけでも、何か息子への刺激にはなったのかも知れない。息子の記録は大したものではなかったものの、今までの自己の記録を更新したのだから、本人は満足している様子だった。トップを競うほどの者なら勝敗にも目がいくのだろうが、まぁ、自分の本職(バスケットボール)ではないこともあり、大会を楽しんだのだろう。

画は会場の様子です。淋しそうでしょ?(笑)背景がバックスタンドなので、人がいないように見えますが、メインスタンドは競技を終えた選手とか保護者、関係者で席が埋まっていました。

2005年12月14日水曜日

街は

今宵は、絵を見てお楽しみ下さい。
街はクリスマス色でした。

(場所は下の地図をクリックすると、その場所が表示されます。
IEしか、ポイントが表示されないようです。)


名称未入力

2005年12月9日金曜日

石組みの橋


 以前、シルエットで紹介した橋は、こういう姿をしています。紹介文によると、1845年に架橋されたというから、既に161年の年月を経ているわけですね。単一のアーチ橋式の石橋としては、日本最大とか。両側の橋脚部分を支える部分の石組みも、堂々として端正ですね。
 九州には石橋が多い
のですが、中でも熊本に多いと言われています。その理由はそれぞれでしょうけど、一つは、架橋技術を持った石工の集団(種山石工)がいたからでしょう。彼ら、もしくはその子孫が、全国各地の石橋架橋に関わっていたと言われています。

 江戸の末期とは言え、山あいの谷にこうした大がかりな橋を架けるには、人手も費用も相当なものがかかったに違いありませんよね。重機もない時代に人手だけで作ったんですからねえ。。。 大したものです。

 

 

2005年11月29日火曜日

旅の夢想。。。

 駅のホームに立つと、何故か旅情をかき立てられるのは、私だけではないだろう。

 夜行列車の旅が好きだ。過ぎ去っていく窓外の灯を見
ているのはおぼろげで心地良い。列車の車輪がレールの継ぎ目を越える音と共に、心もそのリズムに合わせて、様々な想念に没入していく。

 深夜に通過するプラットホームを見て
想う。昼間にはなにがしかの用で、そこに立つ人々。話し声もかまびすしく響いているであろうその場。
 しかし、今はその人々も夢の闇に落ち、ただ深閑としてほの暗い灯りで照らされた
ホームだけが、走り去っていく列車を見ている。別離の哀しさ、期待の喜び、不安や怒りもあるに違いない。一瞬で飛び去っていくホームをぼんやりと見ながら、勝手な夢想だけが続いていく。

ふと、我に返ると、人の気配が消えたホームは、ただ静かにそこにあった。
 
 急ぎ足の旅ではなく、こうした想いを包める旅がしたいものだ。

(画像はJR九州三角線終点の三角駅)

2005年11月28日月曜日

青リンゴ?(笑)

 これは熊本の八代地方で栽培されている柑橘類の一種で、晩白柚(ばんぺいゆ)というものです。大きいものだと3キロほどに太ります。大きさも半端じゃありません。人の頭ほど。

 うららかな日差しの中で、大きな実で枝をしならせていました。今年の玉太りは、夏の影響なのか、小ぶりだそうです。農作物は大変ですね。何せ自然相手の仕事。毎年毎年、同じじゃないのですから。

 熊本の主要産業は、農林水産業。しかし、今その第
一次産業が社会情勢の変化で荒波に揉まれています。なにもかもが激変の嵐の中で、暗中模索しているのでしょう。人口の少子化、高齢化、過疎地の今後は?熊本の山間地の田畑では、農業の大規模化が難しく、耕作放棄された田畑が散見されるようになっています。

 農業の技術ほど付け焼き刃が利かないものはありません。そうした技術の継承はどうなっていくのでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんが蓄えてきた知識と技能。それこそ、今や貴重な知的財産だと思うのですが。。。

 子供達は故郷を離れ、都会で仕事を見つけないと生きていけない時代。お金を得ないと暮らせない社会。「勝ち組」「負け組」という嫌な言葉が踊る暮らし。様々な問題の中で、命をつなぐ大事な食について、ブランドという基準ではなく、当たり前の「食べ物」という視点で、考えていきたいものです。

(ずっと、下書きのまま、置いていたもので、アップが遅くなりました。)

2005年11月27日日曜日

たまには

二人で出たついでに、ふと、思いついて妻と陽が落ちきった海岸をドライブ。
たま
には、良いものだ。ただ、漁り火が乏しかったのが、惜しかった。

風が少し冷た
かったが、心には、ほんわかと温もりを感じながら。
若い時代とは異なり、熱烈さはないが、ちょっと良い感じをお互い持つものだ。車中での会話もいつもとは違う。なかなかよろしい。
この後、二人で食事でも出来たら良かったが、子供が待つ家に直行というのが、まあ、残念と言えば残念ではあった。思いつきの行動を反省。(笑)

これからも誘うとするか。

2005年11月26日土曜日

晩秋を探しに

先日の休みに、九州山地の懐まで足を伸ばしてみた。木々の葉は、すでに色の盛りを過ぎ、枯れ葉を落とし始めていた。

阿蘇方面に向かう。
阿蘇五岳を大
分側から見た人は多いだろうが、掲載した画は、南側からのものだ。北側から見ると、釈迦の涅槃像に例えられる姿を見せる。

阿蘇の外輪山から、南側のカルデラ谷である南郷谷に下る。この谷には、熊本市を貫流する白川の源流がある。火山特有の浸透しやすい土壌のため、カルデラ一帯に降った雨水は地下に浸透し、この谷の各所に湧き出している。また、その地下水脈は熊本市まで伸びていると言われている。

午後過ぎから出たので、夕日が見れるかと期待したが、日没近くには、西側の雲がまし、寒々しい夕景となった。

2005年11月22日火曜日

有明海の残照


久しぶりに海を見に出た。陽はすでに落ちたところだったが、その残照が美しかった。
潮は干潮で有明海の遠浅の様子がよく分かる。

干潮の潟の向こうに見えるのは、島原半島。
一番高い山が普賢岳である。1991年6月3日に火砕流が発生して、多くの犠牲者を出した火山だ。
この山は江戸時代にも大きな災害を起こしてる。
この時は、噴火と共に眉山という前衛の山が崩落し、有明海に流れ込み、それが津波を起こし、熊本に
大きな被害を出したそうだ。これは「島原大変、肥後迷惑」と言われ今に伝わる。 この遠浅の海だ。一旦津波が起これば、波は高くなるだろう。容易に想像できる。

今、 この海は困難な問題に直面している。ニュースなどでご存じの方も多いかも知れないが、諫早湾締め切りと干拓による影響の存否の問題だ。日本でも有数の干潟 の海である有明海が少しずつ変化を示している。アサリなどの貝類の減少、海苔の不作等、豊饒の海と呼ばれた姿からは、ほど遠い海の様相を見せている。

この変化は、単に諫早湾の締め切りだけに限らず、流れ込む河川がダムによって堰き止められ、海に必要な養分の補給が絶たれている事もあるのだろう。
それにしても、人間の浅知恵で大地を加工し、形を変えた結果が、これだ。

しかし、この美しい夕景と同じように、海は声高には語らない。。。沈黙の中でしか。。。

2005年11月20日日曜日

これ分かりますか?

これはなんでしょう?(笑)

干し柿の簾です。年末を前にして、今、最盛期を迎えています。
干し柿の作り方も、地方によって違うようですが、我が県では紐に縦長に柿の柄を止めていくやり方です。
たしか、広島の方では、串に刺して干してあったように思うのですが。

晩秋の青空の下に、柿の簾が連なっている様は、 毎年の風物詩とは言え、美しい色を見せています。


でも、作る農家の人は大変でしょうね。この数を見ると、作業の大変さが思いやられます。勿論、皮むきは機械でするのでしょうけど。

お正月に、干し柿を食べてますか?(笑)
あの素朴な甘さが、私はとても好きなんです。




2005年10月21日金曜日

市外の夕景


今日、午後から出かけた通りすがりで見た夕景。

刈り取りが終わってない田の向こうの山に落日。

周りの田の稲は刈り取りが終わっている中に、一枚の田だけ、たわわに稲穂を実らせていた。

暮れなずむ秋の夕べの、穏やかな時間が過ぎていた。

そろそろ、各戸に灯がともり始めていた。

(画像は露出を増感したため、明るく出てます。実際はもっと暗い)