2007年5月10日木曜日

GWの一コマ

GWの人混みを避けて6日に鹿児島へ日帰りの小旅行を妻と。全線開通までまだ時間がかかる九州新幹線で行ってみました。車では何度も行っているのですが、列車では久しぶりです。平成16年に運行開始して4年目にして初乗りです(^^ゞ 開通区間は熊本の八代と鹿児島中央駅(昔の西鹿児島駅)という短さなので、30分強しか乗車時間はなく旅情を味わう時間もありませんが、内装は木質感たっぷりのシックな装いでなかなか好感が持てるものでした。九州以外の人はまだ馴染みがないかもしれませんね。列車の印象はそんなものでしたが、部分開業中はともかく全線開通後は福岡へのストロー現象が起こってしまうおそれが大きいと思いますがねぇ。。

鹿児島に着くとほどなく小雨が。。。午後は晴れるという予
報だったのですけどねぇ。。傘と「カゴシマシティービュー」という鹿児島市営電車とバスの一日乗車券を買って市内周遊へ。雨ということもあって専用バスの乗客も混むほどではなく、程良いくらいの人数でした。バスストップは明治維新のツワモノ共の遺跡、顕彰碑等が多かったので、そこは降りずに通過。バス内から見るだけにしておきました。まだ入ったことがないところがあったので、そこだけ下車。そこは「仙巌園(通称:磯公園)」です。島津家の別邸であり、島津斉彬が近代工場群を作っていた場所。

江戸末期から明治草創期の日本に影響を与えた人物や活動の多くが長州(山口県)や薩摩(鹿児島)だったのはなぜなんでしょうかねぇ。歴史をひもとくとやはり国外の情報が多かったとか、様々な要因はあるのでしょうけどね。血の気が多い地域ってこともあるのかしらん?w(これは冗談です)

ま、天候には恵まれませんでしたが、久々の夫婦だけの小旅行を楽しめたのが一番の収穫だったかも?(^^ゞ

2007年5月5日土曜日

お久しぶりですw

ほぼ一ヶ月ぶりの投稿。その間はどうしていたのかと言うと、、、
PCの故障、並びに落雷によるADSLモデムの故障のため放置の状態
が続いておりました。(^_^;
PCはメーカー送りの修理が
やっと直り、再開の運びになりました。

桜の時季もとっくに過ぎ、ツツジ、サツキも花びらは茶色に。早いものですね。
もう黄金週間も終わりに近づきました。私はどうも混雑というものが嫌いな性分なので、こういう皆が休みになる時に、どこかに出かけるなどはしたくありません。出不精と言うわけではないのですが、待ち時間が耐えられないのです。(^^ゞ

でも、先日築城400年祭をしている熊本城に久しぶりに行ってみました。その催しの中で航空自衛隊のブルーインパルスチームによる展示飛行を見ることができました。ジェット戦闘機(ブルーインパルスでは、T4というジェット練習機を使用)は戦いの道具ではあるのですが、その形状や飛行する姿にはやはり機能美があり、見応えがありました。まぁ、それも攻撃されないという安心感の中でのことではあるのですがね。

久しぶりに画像も載せておきます。

2007年4月29日日曜日

間があいてます。このブログw

このブログで間があくのは、そんなに珍しいことではないのですが、天変地異は希有であって欲しい所です。しかし、能登半島地震で震度6強という揺れ方など、地震列島とは言うものの怖いですね。ここ熊本でも先日同じ震源で地震が続きました。震度は4くらいだったのですが、続くのは嫌なものです。

怖いと言えば、人の心の状態にもありますねぇ、怖いモノが、、、思い通りにならなくて、人の命を奪ってしまうことが、何と多いことか。男女間、親子間、知人間、通り魔等々、数え切れない程ニュースに流れてきます。それにしても、何故、人は人を殺すのでしょうねぇ。。。?
他の動物では同種同士が殺し合う事は、ほとんど見られず、威嚇し合う程度だとというのにです。脳が肥大化し、考える力を獲得してしまった副作用みたいなものなのでしょうか?
(編集のまま保存していましたが、その後PCが故障してしまいww)

2007年3月16日金曜日

初夏かと思えば、冬?

春はいずこへ?と言いたくなるような天気が続いています。出遅れた冬が慌てふためいているかのようです。春夏秋冬という季節の区切りも、ぼやけて行くのでしょうか?地球を含む宇宙は安定しているのではないのでしょうから、この先のことについては全て未知なる事とも言え、過去の経験値で推し量るのも限界があるという事でしょう。

子育てを終えた方々や未婚の方には、「ああ、今、そうなんだ」という位の認識でしょうが、卒業そして入学の時期ですね。我が家でも、やっと全ての子供が義務教育を終えることになりました。しかし、まだ教育を受ける期間が続いていくので、細りきった脛を維持するのも大変です。「めでたさ」もなかなか実感出来ません。はぁ。。。。(嘆息w)

東京都知事選かぁ。。あの専制君主が、まだ都民の心をつかんでいるのでしょうねぇ。。。(TVのニュースを見ながら)

国会衆議院の「日本国憲法調査特別委員会」で

1.日本国憲法改正手続法案
2. 日本国憲法改正及び国政における重要問題案件発議手続及び国民投票法案
3.公聴会開会承認要求の件

の3案が中山太郎(自民)委員長の下、野党の抗議の最中、採決されました。
憲法には、改正には国民投票によると記されているだけですから、勿論その手続きを定めることは必要な事ではあるのですが、、、議論が議席の数で自動的に採決される現状に、危うさを感じます。

2007年3月6日火曜日

出来事

今日、地元の小学校に招かれた。と言うのも6年生が総合学習で取り組んでいる環境学習発表会のコメンテーターとして参加して欲しいと言うものだった。私の子供達は既に卒業してしまっているのだが、知合いの教師に頼まれたので断る訳にもいかなかった。

どれほどの内容を発表してくれるのか、楽しみだったのだが、、、個々の教師の力量にもよるのかもしれないが、あまりにも拙い内容に少し落胆する。調べ学習の方法にも色々あるだろうに、子供達への教師の導きが弱すぎるのではないか?と感じてしまった。具体的な事をここで明らかにする事は出来ないが、学校を取り巻く地域住民の意識や教師集団の力量で、学習内容に差が出てくるであろう事は、容易に推測出来た。

現在、将来の国の有り様について様々な議論がある。中央と地方という図式を通してみる時、一次、二次産業が衰退、弱体化しつつある地方では、
さまざまな部分で格差が生み出されつつあり、広がっていると言うのが実情なのだ。過去数十年に渡って、中央部に人を吸い出されてた挙げ句、地方分権の名の下に「地方は地方の力で生きていけ」という政治の流れが作られてはたまらない。しかし、振り返ってみれば、中央集権体制に甘んじていて、独自の力を蓄えて来なかった地方にも甘えがあったのは確かなことだろう。

こうした中で、力を蓄えるのは、いかにその土地に密着した人材を育てるかであり、その教育力こそ未来の希望を産み出す源泉なのだ。今日、小学校の学習に参加してみてその思いを強くした。たかが小学校、されど小学校での学びなのだから。

2007年2月26日月曜日

年に一回

今日、人間ドックを済ませる。とりあえず異常は見られず。
終わって車に戻ると、中はムッとするほど熱気が。
朝からかんかん照りの太陽に、窓を閉めた車内の空気が夏のような熱気を帯びていた。車外の気温も20度を軽く超えているのだろう。窓、サンルーフをフルオープンにして走る。セーターを脱ぎ、シャツも袖をまくり上げて丁度良い。
2月も終わりを迎える時期ではあるが、この気温の高さは何だ?小春日和を超え、初夏並みの陽射しのようだ。春以降の気象がどんな顔を見せるのか、気になるところではある。

2007年2月24日土曜日

「美しい国」と「こうのとりのゆりかご」

「美しい」という形容詞が、さして美しくもない現政権によって喧伝されてる。殊更に「美しい」などと装飾をされると、逆にまっとうな中身を持っているものさえ、醜く見えてしまうのは、何故か?

昨年来、熊本市の慈恵病院で準備されてきた遺棄されてしまう赤ちゃんの命を救うための「こうのとりのゆりかご」設置申請に対して、政府部内から批判的な声が出され始めた。
慈恵病院では中高生などへの性教育
出張講座の取り組みや意図せぬ妊娠で悩む女性達の電話相談などの活動を通して、平成16年以降先進地のドイツの視察を経て、昨年「こうのとりのゆりかご」設置申請を熊本市に対して行ったものだ。(注:赤ちゃんポストと言う呼称はドイツでの呼称であり、この慈恵病院では使っていない)

その申請を受けた熊本市は「前例がない」「法的な問題の判断」など、様々な理由で厚生労働省へ問い合わせをし、今月になって厚生労働省が口頭ではあるが、設置について「不許可の理由はない」との判断をしたばかりだ。そこに先ほど書いたように、

安陪首相「
ポストという名前に大変、抵抗を感じる。親として責任を持って産むことが大切ではないか。すでにそういうお子さんたちに対応するための施設等もある。匿名で子供を置いていけるものをつくるのがいいのかどうか。大変抵抗を感じる。」という発言や

「産む装置」発言の柳沢厚労相「
失われなくてもいい小さい命が生後継続できるという非常にありがたい面がある一方、子どもを他に委ねてしまうのを助長する懸念がないのか」、

高市早苗少子化・男女共同参画担当相の「無責任に子どもを捨ててしまうというようなことが促進される結果になっては元も子もない。議論を深める必要がある」
(以上各大臣の発言要旨はasahi.com2007.2.23による)
など設置の流れに水を差す発言をしている。

それにしてもだ、新生児が遺棄されたり、殺されたりしている現実への対処が現行の施策でまかなえるのなら、こうした遺棄や殺人は起きていないはずではないのか?ところが事実はその逆だから、直接望まぬ妊娠の相談に対応している現場から、「少なくとも赤ん坊の命は救おう」という取り組みなのだ。官僚や政治家の発想の貧しさを悲しむのみである。彼等政治家の発言のどこに「美しさ」があるのだろうか?しかも、取り組み自体への認識すら垣間見えないのだから、情けないという他はない。