2012年2月16日木曜日

死の淵を覗く体験〜怖いアナフィラキシーショック〜

実は死の一歩手前(いや、二歩手前くらい?)まで行って、無事生還してきました。^^;
子供の頃、一度だけ蕁麻疹がでる経験をしており、また30歳半ばくらいから、生海老を食すると唇や喉の奥が痒くなるなどのアレルギーがあること、また茶の木の葉につくハダニにもアレルギー反応が出始めていたことも自覚していたのですが...
先日夜の9時頃、妻とテレビを見ながらチョコレートを数欠片け食べた後、身体に掻痒感と発疹が発現。見る間に全身に広がり、猛烈な痒さを覚えてかきむしる状態になりました。あまりに痒さがひどく、シャワーをしに浴室へ行き、全身に熱めのお湯を掛けると熱さで痒みが多少和らぐので続けているうちに、妙な違和感が。顔を上に向けた途端、首の後ろ側が強烈に強張り、全身から力が抜け、意識が遠のく感覚に襲われました。(この熱いお湯を全身に掛けてしまったこともアレルギー反応の増悪化を促してしまったと思います)たまらず居間にいる妻を呼び、「なんか変。おかしい。」と言うと、私の姿を見た妻が「救急車を呼ぶ?」と心配そうに言うので、この状態はこれまで経験したことがない異常な状態だったので、呼ぶように頼んだのでした。その時、私は蕁麻疹のことより、首の裏側の強張りが脳の何らかの異常ではないかと疑ったので、救急隊員にもそのように伝え、脳関連には実績のある総合病院への搬送を頼みました。救急隊員の質問にも答えながらの病院までの車中だったのですが、病院に到着直前頃から、両足のしびれ感が強まり、徐々に感覚がなくなる違和感に襲われ、意識も徐々にぼんやりとしてきたのでした。
救命救急センターの処置室での医師たちの会話だけは聞こえているのですが、瞼が重く眼は開けられません。「何なにが90です」とか「血圧が50まで落ちてるよ。〜〜を全開で入れて。」等の指示が矢継ぎ早になされ、鼻には酸素吸入器、両腕に点滴の針を刺され、足の付け根の動脈から血液を採取されるのを自覚しながらも、私はどこか夢見心地の状態でした。その間、常に呼びかけが続いていて、「目は開けられますか?」との呼びかけに、やっとこ目を開けるとメガネを掛けた女医さんの顔が間近に。意識が遠のいている時、こうした呼びかけが大事だと実感。意識が遠のく=これは意外にも気持いい。その気持いいと感じる状態から覚醒しなければという努力の助けに「呼びかけ」が必要だと実感した次第です。
ひと通りの緊急処置を受け、昇圧剤の副反応である震えというか、痙攣?で全身を震わせている時、妻が処置室へ呼び入れられて、説明と質問を受け始めました。私も徐々にでしたが、意識を回復し始めたので、食した物等の質問への受け答えをし、今回の状態が「アナフィラキシーショック」で非常に危険な状態だった事を伝えられたのでした。(ヒャー!!)
その後、HCUへ移されて予後観察となり、胸に心臓モニターと両腕には点滴ラインを取られ、その夜(翌日未明)にまだ判然としない意識のまま眠りにつきました。妻は入院(長くて一週間と言われていたようです)の準備と私の老母の世話のために未明に帰宅し、仮眠の後、再び来院してくれました。
短くて二三日の入院は覚悟していたのですが、思いの外、回復の状態が早く、運良く搬送翌日の午後には退院許可が出て事無きを得ました。しかし私の身体には既に閾値を超えてしまったアレルギー抗体があるため、原因アレルゲンによって再び過激なアレルギー反応、つまりアナフィラキシーショック状態になり得るので、緊急事態に備えてエピネフリン(アドレナリン)自己注射器を常に携帯しておくことになりました。(はぁ〜(T_T) )
全く予想だにしていなかったアレルギー反応、それも激烈なアナフィラキシーショックに陥るとは... 本当に人生とはわからないものです。そして、人間こんなにも「あっけなく」死に至る可能性があるということを思いました。皆さんも体の管理には気をつけてくださいね。とは言え、限界もありますから、まぁ、「あるがまま」に。

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