2014年12月10日水曜日

この道は…

国というものがある限り、版図合戦、つまり領土の取り合いがあるのは必然なのかもしれない。アジア大陸へ侵略していった帝国主義時代の日本もそうだったように。

毛沢東時代の貧困平等から鄧小平以降の市場経済導入によって、内陸と沿海部の経済的格差を無視して、爆発的な経済的豊かさを享受し始めた今の中華人民共和国の指導者たちは自信に満ち溢れ、怖いもの知らずの体をなし始めている。

日本やヨーロッパの高速鉄道の技術支援を元に開発された中国新幹線も、独自技術によって作られたと曰うし、係争中の版図であっても、一方的に武力を背景に恫喝しつつ己が版図に組み入れたり、民間企業も他所から盗んてきたもの(コピーしたもの)でも平気で我が物にして平然としている。全く、この21世紀に存在するのかと疑ってしまう「強盗国家」のようである。ヒステリーを起こして「言葉」で恫喝しまくる「北朝鮮」が可愛く見えてしまうほどだ。

とこう書くと、まるで現与党の支持者みたいじゃないか?(苦笑)

こうした状況が日本の反動勢力を勢い付かせ、国民もまたその流れに乗って行くのだろう。嫌悪感情ほど利用しやすいものはないのだから。こうした事態を性懲りもなく繰り返して、「戦争」をしていくのが、我々「人類」が持つ「性(さが)」なのかもしれない。

今日、特定秘密保護法という為政者にとって実に都合のいい法律が施行された。衣の下の鎧が見え始めた。

 

そして、与党圧勝の予測しかない「総選挙」が4日後だ。

「この道はいつか辿った道」に気付く人々がどれほどいるのだろうか?

 

 

2014年7月25日金曜日

中華人民共和国の腐敗肉加工問題

全く度し難しとは、この事だろう。腐敗肉を意図的に混入させてさせていた企業がUS本社の外資系だったから「中国の問題ではない」と、とんでもない弁明を国営メディアが繰り返しているとか。その工場で働いていたのは中国人ではないのか?彼らは意に反して腐敗肉混入に加担していたのか?強制されていたのか?だったら、「この肉を食ってもしにはしない」などと現場の中国人が言い放つだろうか?

中国の食や環境の問題は、ひとえに公共心や公徳心の無さや教養、そして自省心の欠如から生み出されていると言う他ない。それを他の問題にすり替えて、申し開きをするなど、彼の国はどんな教育をしているのだろうか?呆れてモノを言う気さえ失せてしまうほどだ。

2014年7月23日水曜日

MADE IN CHINA

またまた中華人民共和国の会社がやってくれた。腐敗肉を意図的に混入させて加工肉を作っていた。それを中国人が食するのなら、まぁ、呆れるくらいだが、その会社の製品を日本のマクドナルドとファミマが購入し、販売していたというのだから、これは呆れるくらいでは済ませられない。前にあった毒入り餃子や下水から取り出した食品油など、もう公徳心や公共感覚のない中国人ならではの事件によって、「MADE IN CHINA」が信頼出来ないというのはわかっていたはずなのに、今回再び口に入る食品で「吐き気を催す」事件を引き起こしたのだから、「MADE IN CHINA」の信頼が地に落ちたと言って良い。
いくら「世界の工場」だと胸を張ったところで、こうしたことを繰り返す国やその国の企業とは縁を切り、中国以外もしくは国内へシフトすべきだろう。人件費などの問題どころではない。

2014年7月7日月曜日

梅雨と台風

今年最初に列島に近づく可能性のある台風8号(ノグリー)が勢力を強めつつ列島、中でも九州を狙っているようです。時期はまさに梅雨のまっただ中。今のコース予想では、ここ熊本にとって最悪の可能性のある九州西方を通過するようで、雨のみならず、暴風が猛々しく荒れ狂うかもしれず、気が気ではありません。ここ最近は台風が九州を運良く避けて通過する事が多く、温暖化で台風のコースも変わりつつあるのかなと思っていたのですが、、、

毎年、梅雨と荒れ狂う台風の季節は憂鬱です。

2014年7月4日金曜日

本質を見抜く目

このところ「資質」という言葉が直ぐに頭に浮かぶ事が続いています。中でも「資質」を最も吟味しなければならないはずの議員の言動、行動です。都議会のハラスメント野次や兵庫県魏の支離滅裂な記者会見は、もはや疑問を超え、議員として今後活動すべきではない域まで達しています。嫌悪感さえ覚えてしまうのは私だけではないでしょう。

しかし、そうした破廉恥極まる彼らを選んだのは、紛れも無くその地域の選挙民ですから、その選挙民の資質が反映しているとも言えます。人を見る目がない選挙民や情実に絡んだ投票行動をする選挙民の自業自得と言えるかもしれません。

 

今さらなんですが、つい先日大した批判もなく「集団的自衛権の行使」へ道を開く閣議決定を行いました。憲法上の様々な制約を「改正」ということではなく、「解釈変更」という最悪の手段を使って。国論事態がほとんど二分している問題を横道を使って避けて通ることは、卑怯極まりないと私は思います。戦闘行為を伴う紛争や国家間の戦争は避けられないというのなら、きちんと手順を尽くして憲法の改正を目指すべきです。改正を目指すと言いつつ、解釈変更をズルズルと続けてきたのが、戦後のこの国の政治家や官僚たちです。このなし崩し的政治の流れがが国民の目を欺き、本質を隠していることを我々は知るべきです。戦前の政治にも似たような状況がなかったでしょうか。思い出してください。

本当に「空恐ろしい」時代が到来しつつあると感じます。

2014年5月7日水曜日

山岳遭難

天気図を見ると沖縄諸島付近にはすでに停滞前線が。そして気象レーダーでは日本列島が白い雲で弓上に覆われている。もう雨の季節になるのか。先日沖縄が梅雨入りしたとか。また、列島の何処かで雨の被害がでるのだろう。昨今の雨の降り方は尋常じゃない。

またまた、連休中の山岳遭難事故が頻発した。5月の山は天候に恵まれさえすれば、芽吹き始めた緑と雪の白色、岩肌の黒色がミックスした絶景の中、爽快な山行になる。しかし、日本アルプスをはじめ標高が高い山では、一旦寒気団に覆われると一気に冬に逆戻りする。「侮るべからず」である。このブログでも度々登山について触れているが、ブームに乗って身の程知らずの登山をすれば、「事故って当然」なのだ。

このまま不埒な登山者が増えていけば、必ずやレスキュー費用は自己負担となり、入山料徴収やシーズンを問わず入山規制山域が設定されてくるだろう。「登山の自由」を守りたければ、自らの体力、技術、情報収集力に見合った計画で山に行くことだ。そうしない限り、規制され、自由がなくなっていくだろう。

きちんと自己鍛錬と技術の習得をしていても「命の駆け引き」をせざるを得なくない事態が発生するのが「自然」なのだ。「 己を知ること」が山にのぼる際に最も必要なことだと私は考える。

2014年1月10日金曜日

年が改まっても

ナンカねぇ、、、このところっていうか、この一年余りというか、新しい記事をアップしなかったのには、気分が乗らなかったっていうかねぇ、、

昭和二十年(1945年)から時が経ち過ぎだのかねぇ。およそ70年も経ってしまうと、人の記憶も薄れたり、無くなってしまうのかもしれないなぁ。もちろんその昭和二十年には私もまだ産まれていなかったのだけどね。
でも遠い記憶の中に繁華街の通りの傍らに、片足や片手をなくした傷痍軍人が募金箱を前に据えて座っていたのを覚えている。それにまだ焼け野原の時期に建てられたバラック小屋が河川敷や河岸に雑然と並んでいたのも記憶している。これは随分後まで残っていたけれど。

「終戦」ではなく「敗戦」だったのだと後から思ったものだ。「終戦」という言葉には、「負けた」事実を誤魔化す意味合いもあるようだが、戦いや逃げ惑うことに疲れきった人々の「やっと終わった」という救われた思いがこもったものとも言える気がする。

さて、今。

何なんだろう、、、

守るだけではなく、攻める手段さえ正当的理由がつけられそうな雰囲気に飲まれそうなこの国の気分。どんどん拳を上げて身構えていくような不穏な感覚に襲われるこの国の気分。

どの国も拳を振り下ろす時、都合のいい理由しか言わないという歴史的事実。

「歴史は繰り返す」というしなぁ。人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とも言うしなぁ、、、

何だか今年は、「ぼやき」的内容が増えそうな気配ですなぁ、、、