2005年11月29日火曜日

旅の夢想。。。

 駅のホームに立つと、何故か旅情をかき立てられるのは、私だけではないだろう。

 夜行列車の旅が好きだ。過ぎ去っていく窓外の灯を見
ているのはおぼろげで心地良い。列車の車輪がレールの継ぎ目を越える音と共に、心もそのリズムに合わせて、様々な想念に没入していく。

 深夜に通過するプラットホームを見て
想う。昼間にはなにがしかの用で、そこに立つ人々。話し声もかまびすしく響いているであろうその場。
 しかし、今はその人々も夢の闇に落ち、ただ深閑としてほの暗い灯りで照らされた
ホームだけが、走り去っていく列車を見ている。別離の哀しさ、期待の喜び、不安や怒りもあるに違いない。一瞬で飛び去っていくホームをぼんやりと見ながら、勝手な夢想だけが続いていく。

ふと、我に返ると、人の気配が消えたホームは、ただ静かにそこにあった。
 
 急ぎ足の旅ではなく、こうした想いを包める旅がしたいものだ。

(画像はJR九州三角線終点の三角駅)

2005年11月28日月曜日

青リンゴ?(笑)

 これは熊本の八代地方で栽培されている柑橘類の一種で、晩白柚(ばんぺいゆ)というものです。大きいものだと3キロほどに太ります。大きさも半端じゃありません。人の頭ほど。

 うららかな日差しの中で、大きな実で枝をしならせていました。今年の玉太りは、夏の影響なのか、小ぶりだそうです。農作物は大変ですね。何せ自然相手の仕事。毎年毎年、同じじゃないのですから。

 熊本の主要産業は、農林水産業。しかし、今その第
一次産業が社会情勢の変化で荒波に揉まれています。なにもかもが激変の嵐の中で、暗中模索しているのでしょう。人口の少子化、高齢化、過疎地の今後は?熊本の山間地の田畑では、農業の大規模化が難しく、耕作放棄された田畑が散見されるようになっています。

 農業の技術ほど付け焼き刃が利かないものはありません。そうした技術の継承はどうなっていくのでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんが蓄えてきた知識と技能。それこそ、今や貴重な知的財産だと思うのですが。。。

 子供達は故郷を離れ、都会で仕事を見つけないと生きていけない時代。お金を得ないと暮らせない社会。「勝ち組」「負け組」という嫌な言葉が踊る暮らし。様々な問題の中で、命をつなぐ大事な食について、ブランドという基準ではなく、当たり前の「食べ物」という視点で、考えていきたいものです。

(ずっと、下書きのまま、置いていたもので、アップが遅くなりました。)

2005年11月27日日曜日

たまには

二人で出たついでに、ふと、思いついて妻と陽が落ちきった海岸をドライブ。
たま
には、良いものだ。ただ、漁り火が乏しかったのが、惜しかった。

風が少し冷た
かったが、心には、ほんわかと温もりを感じながら。
若い時代とは異なり、熱烈さはないが、ちょっと良い感じをお互い持つものだ。車中での会話もいつもとは違う。なかなかよろしい。
この後、二人で食事でも出来たら良かったが、子供が待つ家に直行というのが、まあ、残念と言えば残念ではあった。思いつきの行動を反省。(笑)

これからも誘うとするか。

2005年11月26日土曜日

晩秋を探しに

先日の休みに、九州山地の懐まで足を伸ばしてみた。木々の葉は、すでに色の盛りを過ぎ、枯れ葉を落とし始めていた。

阿蘇方面に向かう。
阿蘇五岳を大
分側から見た人は多いだろうが、掲載した画は、南側からのものだ。北側から見ると、釈迦の涅槃像に例えられる姿を見せる。

阿蘇の外輪山から、南側のカルデラ谷である南郷谷に下る。この谷には、熊本市を貫流する白川の源流がある。火山特有の浸透しやすい土壌のため、カルデラ一帯に降った雨水は地下に浸透し、この谷の各に湧出している。また、その地下水脈は熊本市まで伸びていると言われている。

午後過ぎから出たので、夕日が見れるかと期待したが、日没近くには、西側の雲がまし、寒々しい夕景となった。

2005年11月22日火曜日

有明海の残照


久しぶりに海を見に出た。陽はすでに落ちたところだったが、その残照が美しかった。
潮は干潮で有明海の遠浅の様子がよく分かる。

干潮の潟の向こうに見えるのは、島原半島。
一番高い山が普賢岳である。1991年6月3日に火砕流が発生して、多くの犠牲者を出した火山だ。
この山は江戸時代にも大きな災害を起こしてる。
この時は、噴火と共に眉山という前衛の山が崩落し、有明海に流れ込み、それが津波を起こし、熊本に
きな被害を出したそうだ。これは「島原大変、肥後迷惑」と言われ今に伝わる。 この遠浅の海だ。一旦津波が起これば、波は高くなるだろう。容易に想像できる。

今、 この海は困難な問題に直面している。ニュースなどでご存じの方も多いかも知れないが、諫早湾締め切りと干拓による影響の存否の問題だ。日本でも有数の干潟 の海である有明海が少しずつ変化を示している。アサリなどの貝類の減少、海苔の不作等、豊饒の海と呼ばれた姿からは、ほど遠い海の様相を見せている。

この変化は、単に諫早湾の締め切りだけに限らず、流れ込む河川がダムによって堰き止められ、海に必要な養分の補給が絶たれている事もあるのだろう。
それにしても、人間の浅知恵で大地を加工し、形を変えた結果が、これだ。

しかし、この美しい夕景と同じように、海は声高には語らない。。。沈黙の中でしか。。。

2005年11月20日日曜日

これ分かりますか?

これはなんでしょう?(笑)

干し柿の簾です。年末を前にして、今、最盛期を迎えています。
干し柿の作り方も、地方によって違うようですが、我が県では紐に縦長に柿の柄を止めていくやり方です。
たしか、広島の方では、串に刺して干してあったように思うのですが。

晩秋の青空の下に、柿の簾が連なっている様は、 毎年の風物詩とは言え、美しい色を見せています。


でも、作る農家の人は大変でしょうね。この数を見ると、作業の大変さが思いやられます。勿論、皮むきは機械でするのでしょうけど。

お正月に、干し柿を食べてますか?(笑)
あの素朴な甘さが、私はとても好きなんです。




2005年11月17日木曜日

緑の山と紅葉

この写真は、平野部にある山の様子。
ここは珍しく雑木が残っている。常緑樹の中に
ぽつぽつと葉が色づいている。

今、全山燃ゆるがごとき紅葉という場所を探すのは、至難である。
自然林は、国立公園や植林に向かない場所など、限られたところしかないのが現実だと思う。

戦争により、日本各所の都市が焼かれ、復興のため木材需要が起き、それと共に山の雑木が切られ、杉、檜、松などの建材用途がある樹種が、造林されたからだ。国も植林を推奨した結果、雑木林が、針葉樹植林地に変わってしまっている。
故に、山が季節を問わず、緑色の山となっている。

し かし、時は流れ、エネルギーも薪炭から、油に変わり、木材の需給も変化した今、植林地は手つかずで放置されているところが多い。植林した後は、様々に手 を入れないと、用材として育たない。ところが、木材価格の下落、人件費などコストの上昇によって、手入れに要する費用がまかなえない所まで来ている。
経済林として如何に保つか、これは危機的状況と言っても過言ではない。
手入れがされていない林地は、樹冠が光を閉ざし、地表まで届かない結果、下草が生えず、地肌がむき出しになり、雨などの保水力が失われている。河川の氾濫、山肌の崩壊などを引き起こす要因になっている。

環境保護が叫ばれているが、山の現状をどれほどの人が知っているのだろうか。
その経緯を知り、そこでいかなる暮らしがなされているのか、理解した上で、問題を考えて欲しいものだ。

全山燃ゆる紅葉は美しい。だが、日本の山の現状は今言った通りだ。
紅葉狩りのついでに、いつもは見ない山の様子など、見てみるのも無駄ではない。

2005年11月15日火曜日

秋の蜘蛛と空

蜘蛛の営巣を、何もないところからご覧になった事はあるだろうか?とても興味深いものだ。

種類によって、かけ方は違うのだろうが、私が中学生の時に、たまたまその機会を得たのは、名前は分からないが、夕方頃から姿を現す大型の蜘蛛のものだった。

軒から一本の糸を出しながら降りてくると、途中で止まった。ほとんど風はなく、見ていると蜘蛛の尾部から、ほとんど見えないくらいの細い糸を放射状に出し始めた。歌舞伎などで見る「蜘蛛の糸」だ。

それがほんのわずかな風の揺らめきで、一本の糸に撚れていき、どこかにその端が絡まると、そこから網の作成を始めたのだった。

自然の中での出来事は、当たり前すぎて知らない事が多いが、見る機会があると、本当に不思議な物が多い。

写真は「ジョロウクモ」が、「ネズミモチ」という木で、獲物を待っているところ。
しかし、その姿は、秋も深まり、飛び交う虫も少なくなっている中、寂しそうではあった。

2005年11月7日月曜日

月浮かぶ宵、明星と共に


出かけた帰り、日没後の空を見ると、月と金星がくっきりと見える。

早速車を止め、カメラ片手にポジションを探す。
しかし、三脚を乗せてない。。。手持ちじゃブレてしまうし、どうしよう?
ガードレールを支えに撮ってみたが。。。うーむ、微妙にブレている。

ニュースでは、今日「黄砂」が観測されたとか。この宵の空の感じでは、黄砂もほんのわずかだったのだろう

二枚目も場所は違うが、ススキを前景に入れてみた。「立冬」の雰囲気は出ているだろうか?

ひんやりとした空気の中に浮かぶ宵の月と明星。見上げると、秋が深くなった事を肌で感じた。

(注記)画像をクリックすると、大きくなるはずですが、アップロードし直しても、サーバーにアップ出来ないようです。

2005年11月3日木曜日

空、二色

観天望気と言う言葉がある。空を見て、天気を予想することだ。
山に登っていたせいか、よく空を見る。

空の色は、ひとときも同じ色をしていない。暁から漆黒の夜まで、刻々と変化し続け、さまざまな色を見せてくれる。

光あふれる雲も好きだ。

夕景はさらに、その変化が余韻に満ち、静謐な時間へと導いてくれる。

雑然とした時間の中で、空を見上げる心地よさを味わうのは良いものだと思う。
お試しあれ。




2005年11月1日火曜日

夕闇のシルエット

透き通るように晴れた空の夕景だったので、ちょっと、石橋を見に行った。
江戸の末期に架けられた石橋が、県内各所にある。
これはその一つ。

単なる橋なのだろうが、鉄で作られた橋と違い、その佇まいは、堂々として、周りの風景に調和していた。


150年以上の時間の流れの中で、どんなものを、この石橋は見ていたのだろうか。

ふと、そんな感慨にとらわれてしまった。