2005年10月30日日曜日

旧交を温める

昨夜は高校の同窓会だった。卒業以来、案内があっても、ほとんど顔を出していなかった。
だから、数十年ぶりに会う友人もいる。
会場に向かう道すがら、考えた。顔が分かるだろうか?お互いに(笑)

会場に到着。
部屋に入る。

おっと!!

何度かあってる奴は、分かるが、後はおぼろ(笑)
すっかり髪が白化してる奴もいれば、残り少ない奴もいる(笑)
時の経過は無情なものだ。。。(苦笑)

酒宴が始まり、お互いに名前を確認(笑)
幸いにも(?)私の名前は顔と一致する奴が多かったのだが、
私の方は、その相手の顔と名前の一致が。。。(変わりすぎてる方が悪いっ! すまんw)
しかし、親しみの度合いが、本当にあるというのが、顔の記憶だと思う。
当時、親しかった奴は、顔の変わり様が凄くても分かるものだ。(笑)


そう思いつつ、若かりし頃の思い出話に、座が盛り上がり、近況を交わしあった。
子供、仕事などなど。団塊の世代である我々だから、この年になれば、今までの人生に悲喜交々、それぞれに起こっていて不思議ではない。
盛り上がりの中にも、そういった感覚を抱いたのは、私だけではなかっただろう。
人生とはそういうものだ。

何はともあれ、深夜まで旧交を温められた事は、良かった。

再会を約し、夜更けの道を帰った。

2005年10月26日水曜日

こんなに。。。

ちょっと、読みたい本があったので、書店に寄ってみた。

全国展開の書店だが、だだっ広い空間に、何列も書棚が並び、カラフルな色に満ちた本がごっそりと並んでいた。

ネットが普及し、書店経営も競争が激しいと聞くが、私が若い頃通ったようなこぢんまりとした書店は、消えて行っているのだろう。

書店経営の厳しさの中、出版物は逆に増えていると聞く。ますます、不可解。
なんでも大型化、消費化なのだろうか?安易に売れるもの、読み易いものに流れる事がない事を望む。読み応えのあるものもが、その中にどれくらいあるのだろうかと、つい、思ってしまった。

取り付きにくくても、読み始めて、その内容のおもしろさに気づくものもある。じっくり読んでみるのもいい。

そう思いながら、4冊ほど買って帰った。

2005年10月25日火曜日

人間ドック余話

現代は、様々な健康ブームですが、その王道は、やはり、人間ドック?(笑)
その流行に流されたわけではないですが、15年前から、毎年一回、ドックを受けています。今年も、昨日、今日と一日半に渡って、ドックを受けてきました。
様々な検査を受けるのですが、中でもそのクライマックスは、消化器系の検査でしょう(笑)

そ の1 大腸内視鏡検査。日本人は直腸から大腸のS字結腸、横行結腸辺りに、最も癌が多いという事で、受けるわけですが。。。ふーむ。。。ご想像あれ (笑)なんとも、情けない姿をさらしての検査。。。 なんせ、看護士(女性)に事前の準備をされるのですから。。平静を装いつつも、内心は如何ともし難い 屈辱感を感じつつ。。。(笑)(まあ、医療行為ですけどね(^_^; )
検査台の前で。。。
看護士「ハイ、じゃ、脱いで横になってください。」(キッパリ)
私「ぁぃ」(モゾモゾシツツ)
看護士「横向きになって、ぐっと膝を抱えるようにして」
私「ぁぃ」(キエイリソウナコエデ)
看護士「もっと突き出すように、こっちに」
私「(^_^;はぁ。。」
もう、これ以上、詳細を述べるのは、、無理。。。続きは体験してみてくだされ。(^_^;

その2 胃カメラ。如何にカメラ&コードが細くなったとはいえ、 まだまだ、喉、食道を通過させるには、太いのでは?と思える物が挿入されるわけで。。。慣 れたとは言え、身体の反射はコントロール出来るわけでもなく。。。 涙目になりつつ、「あー」とも「うー」とも言えないうめき声と共に。。。(笑)
健康管理と思いつつも、やはり、この二つの検査は、情けないったらありゃーしません。。。(トホホ。。)

2005年10月22日土曜日

今頃!?

通りがかった道沿いのブロック壁と、上のフェンス一面に、朝顔?

今頃?と、思いつつ、わざわざ車を止め、確認に。(笑)

やはり、朝顔でした。

朝顔って、こんな時期まで、咲いているものなのか。。。 ちょっと、びっくり。

それにしても、これほど見事に咲いているのは、初めて見ましたね。ほんと。この時期にですよ(笑)
でも、調べてみると、花期って、結構長いんですね。7月から10月10日頃までとか。なるほど。夏の花のイメージが強すぎて。長く咲くものなんだなぁ。

(追記)11/10
この朝顔は、従来の日本朝顔ではなくて、西洋朝顔という種類らしい。品種は「オーシャンブルー」のようだ。宿根性で、霜が降りる頃まで花を楽しめるとか。なるほど、道理で葉の感じが違っていたわけだ。道すがら、よく見ると結構いろんな所で見かける。
ここが詳しい 



2005年10月21日金曜日

市外の夕景


今日、午後から出かけた通りすがりで見た夕景。

刈り取りが終わってない田の向こうの山に落日。

周りの田の稲は刈り取りが終わっている中に、一枚の田だけ、たわわに稲穂を実らせていた。

暮れなずむ秋の夕べの、穏やかな時間が過ぎていた。

そろそろ、各戸に灯がともり始めていた。

(画像は露出を増感したため、明るく出てます。実際はもっと暗い)

2005年10月19日水曜日

光と陰の狭間で。。。


光を撮すのは難しい。写真は好きだが、センスがない(笑)上手い人の画を見ると、羨ましい限りだ。

光と陰、陰と陽、表と裏、、、いろいろある。

人の心に湧き出すものも、いろんな側面を持っているに違いない。水面に映る空を見ながら考えてしまった。

人は弱いものだ。だからこそ、己をしっかりと見つめる必要がある。

物想う秋、ではある。

2005年10月18日火曜日

秋晴れの空と色と

雲一つない空に、赤く熟した柿が、たわわに実っているのを見ると、秋が深まっているのを実感する。

冬に向かっていく秋の空気は、四季の中でもっとも好きだ。

ふと、若い頃、よく登った北アの山々の麓の景色と重なってしまう。頂上部には白い雪がつき、澄み切った空気の中に、空と雪と麓の赤く色づいた樹木の対比は、息を飲むほど綺麗なものだった。

冬山の白一色と晴れた空の青の対比も、まばゆいばかりに綺麗なものだが、やはり、秋山の色合いが、もっとも好きだったように思う。

2005年10月16日日曜日

チャット考

 PCに接し始めた経歴は、それなりに長い。Internetがまだ普及していず、パソコン通信という形で、閉じた契約サーバーの中で遊んでいた時代からだ。チャットというのは、そこで少しだけ体験していたのだが、そこでの会話になじめず、遠ざかっていた。

 最近になって、何となく覗いてみたチャットサイトは、人数も少なく会話のテンポも私の気質に合っていたのだろう。そこに居着くようになって、チャットを楽しんできた。

  そこに集ってくる正体不明の人々との会話も興味深く、会話の中からその人物像を自分なりに想像するのが、何より興味深かったのだ。イメージの世界での繋 がりとでも言うか、会話の中身と想像で作っていく人物像への興味が、私をチャットにのめり込ませた理由だったように思う。

 私が訪ねた頃の、そのチャット場は、人が少なく、それこそ、その部屋の名前通りのものだった。時々入ってくる人々に声を掛け、会話に誘い込んでいくのは楽しみだった。話す内容は様々だったが、雑談程度で結構盛り上がる。冗談を言い合い、適当な距離感が、心地よかった。

 しかし、集ってくる人が増え、その人たちとの距離感が近くなるにつれて、様々な感情が生まれ、戸惑うことも増えてきてしまった。

 分かっていたことだが、ネットであっても、現実に生きている人との会話だ。様々な感情が生じることは自然なことに違いない。しかし、そのことに自分自身が戸惑ってしまったことは意外だった。

 だから、ここらで、もう一度考えてみたいのだ。気持ちを新たにして、考えてみたいと思う。心地よさを維持できるように。そのために、しばし、そのチャット場を離れてみようと思っている。再び楽しく会える日を楽しみにして。ciao^^



 

2005年10月12日水曜日

我が家のアル

 我が家では、私が生まれる前から、犬が絶えたことがない。今まで、雑種の他に、秋田犬、コリー、グレートピレニーズ、など、飼ってきたが、純血種より雑種の方が長生きで、賢いようだ。

 写真は、我が家の忠犬「アル」。当年取って、9歳。柴の雑種だが、なかなか賢い。人が大好きで、どんな小さな子供が尻尾をつかんでも、ちょっと迷惑そうな顔をしながら、遊んでいる。

犬とは、本当に主人に忠誠を誓う動物だ。可愛くて仕方がない。長生きしろよ、アル!

2005年10月11日火曜日

秋の夜長。。。

 秋になると、何かしらその空気がそうさせるのか分からないが、つい物思いに耽ってしまうのは私だけだろうか?激しく、熱い夏が過ぎ、清澄な空気のなかで、心に浮かぶことに想いを巡らしてみるのも、まあ、いいだろう。

 ここ何年かの内に、親しくしていた友人が、何人か亡くなったことは、先の記事にも書いた。一人は事故で、一人は10数年患っていた難病のために。二人と も、私にとって心許せる友だったのだが、その喪失感は、今でも幾ばくか残っている。悩んだとき彼らと話すことで、気持ちを立て直すことが出来たものだ。友 とはそういう存在なんだろう。家族とは異なる意味で、大事な存在だ。

 心を許すとは、どういう事だろう。。何でも言い合える?いや、違うな。。大切であればこそ、言えないこともあるのではないか?友であるからこそ、言えないことがあるように思うのだが。。。心ほどつかみどころがなく、曖昧なものはないからだ。人の心も自分の心も。

 言葉とは、自分の想いや感じてること、考えを伝える手段だが、これほど扱いが難しいものもない。その「言葉」の意味づけが微妙に異なるからだ。物書きは 言葉を「歯ぎしり」して、絞り出すと言うが、伝えられる人の心をつかむには、まさに、「歯ぎしり」するほどの思考の作業が必要なのかも知れない。今の時 代、思いつくままの言葉を流し出しても、さほど気にならないが、「歯ぎしり」まではしなくとも、自分なりに思考を巡らす作業は大事なんだろう。

 とりとめのない事を書いてしまった。ま、いいだろう。これも秋の夜長のせいだ。ハービー・ハンコック、チック・コリアのピアノは、実に耳に心地いい。。。