2007年9月30日日曜日

地に墜ちた「伝統」

大相撲の世界で不祥事が続いています。若花兄弟の血族争い、八百長疑惑、朝青龍仮病騒動、時津風部屋での入門数ヶ月の序の口力士のリンチ死亡事件などです。一連の事件を通して透けて見えてきたことは、「伝統」とか「国技」という驕りと閉鎖世界の中で「井の中の蛙」の日本相撲協会の体質でした。また協会は財団法人ということですが、相撲興行は営利行為ではないのでしょうかね?随分、大金が入っているようにも見えるのですが。

それにしても今回のリンチ事件は、名門と呼ばれる部屋での出来事です。「けいこ」と称して随分無茶な暴力行為が、「伝統」という名の下に相撲世界では当たり前のように行われているということが明らかになりました。亡くなった力士の親が解剖をしていなかったなら、事は明らかにならなかったのです。この事件によって、過去に亡くなった力士の中にも、同じような行為がなかったとは言えなくなったとも言えます。

また協会自体の事件に対する態度も、社会的常識とはかなり隔たったもので、その能力、機能に疑問を持たざるを得ません。公益法人でありながら、内向きの姿勢だけなのですからね。この調子で大相撲を覆う疑惑を晴らし、もしくは自浄していけるのでしょうか?残念ながら期待できないと思ってしまいます。

2007年9月16日日曜日

一寸先は闇?

お坊ちゃま首相のへたり込み辞任の後を受けて、次期首相の呼び声が高かったはずの麻生氏が陰から現れた福田氏に勢いを持って行かれてしまった。面白いものです。小選挙区制になって、一気呵成の雪崩現象が自民党ではよく見られますね。「勝ち馬に乗る」ということなのでしょう。政治的見識とは、そうした「流れを読む」と同義なのかも知れませんね。そこには政策的一致などは二の次で、取り敢えず方式的思考が垣間見える気がします。

しかし、今は臨時国会が開かれたばかりですよね。それが「へたれ首相」の「投げ出し辞任」のせいで、中断し山積みの政策論議もどこへやら。当の本人も、また「へたれさん」を担ぎ出した与党(自民党・公明党)の面々も、そうした無責任状態を我々に謝罪することもありませんね。その中で特に興味深かったのは、小泉チルドレンと呼ばれる面々の「小泉」担ぎ出しの理由でした。「改革継続のため」と声高に叫んでいましたが、その主張の裏側に「我が身の保身」が透けて見えたのはどうしてでしょうかねぇ。自立出来ない我が儘っ子そのものにみえます。国民が参院選で下した結果すら、彼等には見えていないようです。

さて、こうした事態の中で野党は誰が首相となろうが、対抗していく政策論議そして、政権奪取のために鋭意精力を傾けるべきでしょう。もはや連綿と続いてきた自民党政治は終焉を迎えつつあるのですから。政権交代がない国の有様が公務員の腐敗を生み、傲慢な官僚を生み出していると言うことは、社会保険庁のでたらめさが証明しているのですからね。我々国民は、どこが与党となっても冷徹な目でチェックし、政党としての力量を計っていけばいいのです。駄目なら交代させたらいいだけですからね。盲信だけはやめましょう。

2007年9月12日水曜日

自暴自棄辞任か?

安倍お坊ちゃま首相がダッチロールの末、まさにお坊ちゃまらしい職場放棄とも言える辞任をした。臨時国会が幕を開け、所信表明をした直後に唐突な辞任というのは、まさに国民を愚弄する行動だ。政治家にとって最も必要な資質は、批判に耐える胆力だと私は考えているのだが、この「ぼんぼん」にはそれが備わっていなかった。小泉元首相の下ではバックアップもあり、特に北朝鮮拉致被害者家族会へのパフォーマンスだけでその存在を見せていたのだが、それも北朝鮮という明瞭な相手に対して、強面を見せていただけに過ぎない。それが大して実質的な実績を上げたわけでもない彼を自民党総裁に選び、日本の首相に祭り上げた自民党そのものが、既に判断力さえ欠いた政党と化していることの証と言える。まぁ、今回の「プッツン」辞任劇で彼の政治生命はなくなったに等しいだろう。彼の崇拝する「おじいちゃま」も草葉の陰で恥じているに違いない。

このような中身のない政治家を選び続けるとするなら、戦略に富む中国やアジア諸国の後塵を拝するのも遠くない将来になるおそれがある。この見苦しい劇の後を引き継ぐのは、やはり、岸信介の姻族になる麻生ということになるのだろうか?はぁ。。。またも、お坊ちゃまか。。。傲岸不遜な彼のことだから、気弱な安倍とはまた、違ったリードをしていくのだろうが、彼の言いたい放題の失言が命取りになることもあるかも知れない。今求められるのは、勇猛果敢な政治家ではなく、知略に富みながら、判断の際には取捨選択を誤らない人物なのだ。


2007年9月9日日曜日

秋風がそろそろ

珍しく進入コースが北に偏っていた台風9号が関東以北の各所に被害を残して列島から去りました。海水温や気温がこれほど高くなって来ていると、台風のコース取りにも影響が出てくるのではないかと感じています。9月以降というのは、九州来襲が多かったはずですが、今後の台風のコースがどうなるのか、注目しています。被害を出すのは、嫌なことではありますが、台風がもたらす雨で年間の水が確保できると言うこともあり、コースが大きく変化してしまうことも、植生や農業、気象にどんな変化をもたらしていくことになるのか、懸念することではありますね。そうは言っても、先日も書いたように夕刻に吹き渡る風には秋の気配もあり、今のところはまだ四季を感じることが出来ます。秋の虫たちの恋も盛りを迎え、鳴き声にも力がみなぎってきた様子です。

しかし、その秋風が吹いているのは自然界だけではないようで、現政権も既に秋風の風情です。力を失うと、群がっていた人間も去っていくのが世の常。不甲斐なさを自覚しているのか、目力も失せている今日この頃の首相ではあります。さて、明日10日から招集される臨時国会は、どのような展開を見せるのか、しっかり見ていくとしましょう。

2007年9月5日水曜日

雲散霧消か?政治倫理

まぁ、有り体に言って、保守合同の後の政治家に「政治倫理」などがなかったことは、連綿と続いた政治疑獄や事件が証明している。それほど「政治と金」というのは、切れぬ縁なのだろう。政治には金が掛かるからというのが、大方の政治家の言い訳だ。確かに何をするにも金は必要だ。秘書を雇い、事務所を維持し、集会を開き、広報をしなければならない等の活動をしなければならないのだから、相応の金は必要になる。過去の政治スタイルには、社会の闇との繋がりも否定できないだろうし、非公然活動的な政治手法も使われていたのだろうと思う。そういうところでの活動費は表に出せず、「入り」も「出」も隠すことになるだろう事は、容易に推測できる。

しかし、「普通の国民」あっての国家を志向するのであれば、政治手法は清廉であって欲しいし、公明正大でなければならない。それは選ばれる側だけではなくて、選ぶ側の問題でもあるはずだ。政治家は全て選挙を通してしか、なれないし、選ばれてしまうと一定期間はその権力行使を認めざるを得なくなってしまうのだから。その点から言えば、先の参院選では「普通の国民」が一定の良識を発揮して対抗する野党の勝利を呼び寄せたとも言えるだろう。単に与党の自滅だということではない。

それにしてもである。負けたはずのリーダーは、未だに「美しい国」をささやき、国民、野党ばかりでなく与党からも「退陣」を言われながらも、その椅子にしがみついている。内閣改造をしても早速(はやばや)と新閣僚が辞める羽目になっても、己の無能さには気が付かぬらしい。まさに裸の王様状態だ。情けなさを過ぎ、哀れに見えてくる。

(今、ここは大雨が降り出した。もの凄い降り様だ。滝の如し。台風は関東を直撃するコースにある。珍しい)