2007年9月5日水曜日

雲散霧消か?政治倫理

まぁ、有り体に言って、保守合同の後の政治家に「政治倫理」などがなかったことは、連綿と続いた政治疑獄や事件が証明している。それほど「政治と金」というのは、切れぬ縁なのだろう。政治には金が掛かるからというのが、大方の政治家の言い訳だ。確かに何をするにも金は必要だ。秘書を雇い、事務所を維持し、集会を開き、広報をしなければならない等の活動をしなければならないのだから、相応の金は必要になる。過去の政治スタイルには、社会の闇との繋がりも否定できないだろうし、非公然活動的な政治手法も使われていたのだろうと思う。そういうところでの活動費は表に出せず、「入り」も「出」も隠すことになるだろう事は、容易に推測できる。

しかし、「普通の国民」あっての国家を志向するのであれば、政治手法は清廉であって欲しいし、公明正大でなければならない。それは選ばれる側だけではなくて、選ぶ側の問題でもあるはずだ。政治家は全て選挙を通してしか、なれないし、選ばれてしまうと一定期間はその権力行使を認めざるを得なくなってしまうのだから。その点から言えば、先の参院選では「普通の国民」が一定の良識を発揮して対抗する野党の勝利を呼び寄せたとも言えるだろう。単に与党の自滅だということではない。

それにしてもである。負けたはずのリーダーは、未だに「美しい国」をささやき、国民、野党ばかりでなく与党からも「退陣」を言われながらも、その椅子にしがみついている。内閣改造をしても早速(はやばや)と新閣僚が辞める羽目になっても、己の無能さには気が付かぬらしい。まさに裸の王様状態だ。情けなさを過ぎ、哀れに見えてくる。

(今、ここは大雨が降り出した。もの凄い降り様だ。滝の如し。台風は関東を直撃するコースにある。珍しい)

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