2005年12月31日土曜日

ありがとうございました^^

 今年も残すところ、あと、数時間。 二月から始めたこのブログも(と言っても、当初は更新も放置気味で(^_^;)、カレンダーの終わりまで、到達する事が出来ました。なんと言っても、それは駄文にもかかわらず、飽きもせず(?笑)読んでくださり、コメントを残してくれた人々、いや、あなたのお陰です。ありがとうございました。^^

 年を越して、来年も まあ 適当に更新していくと思いますけど、良かったら、また、足跡を刻んで頂ければと思っています。

 来る年が、皆様にとって、より良き年になる事を、心から祈っております。

 では、また、来年に^^ 

 よい年を!!

2005年12月28日水曜日

なんだか。。

 年の瀬って、なんだか、気忙しく過ぎていきませんか?
昨夜も友からの呼び出しで、忘年会とやらに。。。
「忘年会」っていう呼び方も、ちょっと変と思いませんか?

大事な人に愛を告白した事、永遠の愛を誓い合った事、
お金を借りた事、ウソをつきませんと約束した事、
「この過ちは繰り返しません」と、誓った事、
官僚政治の打破と、訴えた事、
不正な事して、謝罪した事、
Et Cetera、Et Cetera、、、、、、、

 もう、忘れたらあかんこと、いっぱいあり過ぎて、書ききれませんがな。
都合良く忘れたら、あきませんよねぇ。。。

 しかし、かく言うわたくしも、、、忘れる事に関しては、それは、名人級なもので、、、
「天につば吐く」ことになりかねませんけど。。。(笑)

 まあ、忘れたくても忘れられない事が、たくさんありすぎるから、敢えて「忘年会」をしなければ、「やってられませーーーん」と言うのが、「本音」なのでしょうねぇ。。。

 なんだか、今日は、独り言というか、つぶやきというか、そんなものになってしまいました。。。
良いじゃありませんかね? 年の瀬!だし?(笑)

 気ぜわしさで、慌てたり、転んだり、怪我をしないようにしてください。ご用心、ご用心!

2005年12月23日金曜日

雪でした2

 雪山じゃ、ありません。植木に雪の帽子が。凍った水に閉じこめられた睡蓮の葉も、急激な寒さに凍えているようです。

 しかし、今日はあの寒さも去り、夜には、なま暖かい風と共に、雨まで降り出して、融け残っていた雪も姿を消しました。この気温の差はなんでしょうかねぇ。。。

 この後再び、寒波?何やら落ち着かない天気模様が続いています。

2005年12月22日木曜日

雪でした

 朝、起きたら、一面の銀世界。朝方はうっすらとしていたが、その後も降り続け、13センチほどに。12月にこれほど積雪があったのは、記憶にない位遠い昔かも。。。

 この先、1月、2月はどうなるのだろう?暖冬に逆戻りなのか、それとも?

 クリスマスが好きな人達は、今年はホワイトクリスマスを楽しめるのでは?
 

2005年12月20日火曜日

年の瀬も近づき


 イルミネーションで、街は華やかな彩りをみせている中で、何となく、気忙しく、慌ただしい気分になるのが、年の瀬かも知れない。クリスマスという取って付けたような行事には、興味はないが(と、言いつつ、イルミネーションは、綺麗だと思うが)、一年の締めくくりという年越しは、それなりに準備というか、心構えをしてしまう。なに、大したことはしないのだが、一年の総括とでもいうのか、一応振り返ってみるのだ。

 個人的な事では、長男、長女が家を離れ、大学、高校に行った事、親しい友が亡くなった事など。子供が自立していなくなるのは、嬉しい事だが、友の死は寂しいし、心が痛む。

 社会事象でも思いつくままに書いても、様々な事が起きた一年だった。イラク侵略戦争の混迷化、戦う国家に衣替えへの一歩前進(憲法改正論議など)、自然災害の多発(世界的に)、犯罪の凶悪化、特に、子供を巻き込む事件の多発、経済市場競争の激化、政治状況の悪化(思考停止の結果か?)、気象変動の顕在化、ネット社会の脆弱さ(個人情報流出、東証での事故)などなど。どれ一つとっても、未来に明るさを見いだすには困難な事ばかりだ。拝金主義で世の中が染め上げられ、街を照らすイルミネーションと同化している。

 カレンダーは締めくくりでも、時間の流れが途切れるわけではなく、解決困難な事柄が、どんどん積み増されていくのだろう。

 夏目漱石先生が『草枕』で、書いてるように、「とかくに、人の世は住みにくい」とは、至言である。漱石先生の時代は、まだしも、情に流されていたのだが、現代は既に『情』すら、どこにあるのか、絶滅危惧種とも言えるかも知れない。政争においても、それが如実に示されたのが、夏の総選挙ではあった。

 歴史は、後生に評価を受けるのだろうが、今、刻んでいるそれぞれの事象が、どのように評価されるのか、みものである。せめてもの救いは、その時代には、既に我々はいないという事なのかも知れない。

2005年12月14日水曜日

街は

今宵は、絵を見てお楽しみ下さい。
街はクリスマス色でした。

(場所は下の地図をクリックすると、その場所が表示されます。
IEしか、ポイントが表示されないようです。)


名称未入力

寒波襲来


 昨日も今朝も、夜中に降り始めていた雪が、木々を白く化粧していた。12月の半ばに積雪を見るのは、ここ十数年の間にはなかったように思う。夏の異常高温、そして、海水温の上昇は既に毎年の観測で確認されている。今年の冬の気象は、どうなるのだろうか?

 暖冬が当たり前になっていたので、冬らしい景色を見ると、数十年前の子供時代の冬景色を思い出していた。今の時代のように玩
具も豊富ではなく、外で遊ぶのが当たり前の時代だ。手作りのそり、竹を割って作ったスキー板もどきの道具で滑った事を懐かしく思い出した。

 




2005年12月10日土曜日

またもや。。。。

 悲惨な事件が続いている。子供の命を狙った事件だ。

 昨日は塾の講師がそこの女子生徒を殺すという、何とも言えない事件が起きたらしい。今までの基準ではあり得ない事だ。ほんとに、どうかしてる。立て続けに起きている事件を見ても、「何故」という部分が見えてこない。なにが、どこで、どのように違ってしまったのだろう?

 生き方の手本を見せるべき人達、例えば、政治家、企業のリーダー、各学校の教授や教師、そういう人達が、既に倫理観を失い、犯罪に手を染め、人々に諦めと怒りを抱かせてしまう時代だ。これこそ、末世と呼ぶべきなのだろうか?

 
おおらかで、健やかな夢を抱いて欲しい子供達が、今の社会の有り様をどのように見ているのか、本当に怖い気がしている。

2005年12月9日金曜日

石組みの橋


 以前、シルエットで紹介した橋は、こういう姿をしています。紹介文によると、1845年に架橋されたというから、既に161年の年月を経ているわけですね。単一のアーチ橋式の石橋としては、日本最大とか。両側の橋脚部分を支える部分の石組みも、堂々として端正ですね。
 九州には石橋が多い
のですが、中でも熊本に多いと言われています。その理由はそれぞれでしょうけど、一つは、架橋技術を持った石工の集団(種山石工)がいたからでしょう。彼ら、もしくはその子孫が、全国各地の石橋架橋に関わっていたと言われています。

 江戸の末期とは言え、山あいの谷にこうした大がかりな橋を架けるには、人手も費用も相当なものがかかったに違いありませんよね。重機もない時代に人手だけで作ったんですからねえ。。。 大したものです。

 

 

2005年12月5日月曜日

急激に寒気が、、、

 数日前には、夕焼けが見えた空も、昨日は荒天に。
雨からみぞれに変わり、深夜には湿雪で融けやすい雪ではあったが、地表も多少、雪化粧をしていた。山も今日の午前中いっぱい雲の中で、見えた
時にはすっかり雪化粧。

 長期気象予報では、この冬は暖冬傾向ではなかったのか?まあ、一時的な寒波なのだろうか。。。

 ヨーロッパでは、大寒波が襲い、路上で生活していた人の凍死が相次いだとか。

 それにしても、今年は台風もハリケーンも、ひどい被害をもたらした年ではあった。冬の気象も、なにやら怪し気ではある。

 十二月にはいると、全てが何やら、慌ただしく感じるが、心穏やかで、温かく冬を過ごしたいものだ。


2005年12月2日金曜日

現代のドン・キホーテは。。。

  風車をみると、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を、つい思い出す。騎士物語を読みふけり、一介の郷士に過ぎぬドン・キホーテが伝説の騎士を名乗り、従者サンチョ・パンサを従え、ロシナンテに跨り、既に騎士道がそぐわない世で、様々な奇行を繰り広げる物語だ。
 現代の風車をみて、彼はいかなる戦いをするのだろう。

 今、この国でも時代にそぐわない復古的な言動や行動をなす人々が台頭してきている。軍人戦死者だけを祭った場所を平然と参る輩や、自衛隊の国軍化を唱える輩、高校での「奉仕の義務化」、憲法改正等々。その意図は何かと、思うようなことが、闇の底から亡霊のように、表に出てきている。

 アフガニスタン侵略からイラク侵略へと続く戦乱の中、日本人拉致事件が起きた時、国会議員、特に首相、自民党の幹部、公明党の幹部の発言に、唖然とした事を思い出す。権力の座にある者達が率先して、拉致された人達へ非難の矛先を向けたのだった。その後の烏合の衆の大合唱は、まさに集団的いじめそのものの観を呈していたものだ。
「非国民」という亡霊そのものの言葉すら、踊っていた。

 志を持って行為を行った人に対する態度ではない。まさに、志なき者達の言動に他ならなかった。

 様々な価値観があって、それはそれで意味はある。しかし、他人の命を奪う行為を価値あるものとする人はいないだろう。命を奪う事を正当化してはならない。

 国家に対する誇りとは、強制されるものではなく、各人の心の奥から湧き出すものなのだ。自国民への優しさもない国に、どうして誇りが持てるというのであろうか。倫理に乏しく、誇りなきリーダー達を持つ国民は悲惨である。

 風車を巨人と見て戦ったドン・キホーテは、この国に何を見るのだろうか。。。