2005年12月20日火曜日

年の瀬も近づき


 イルミネーションで、街は華やかな彩りをみせている中で、何となく、気忙しく、慌ただしい気分になるのが、年の瀬かも知れない。クリスマスという取って付けたような行事には、興味はないが(と、言いつつ、イルミネーションは、綺麗だと思うが)、一年の締めくくりという年越しは、それなりに準備というか、心構えをしてしまう。なに、大したことはしないのだが、一年の総括とでもいうのか、一応振り返ってみるのだ。

 個人的な事では、長男、長女が家を離れ、大学、高校に行った事、親しい友が亡くなった事など。子供が自立していなくなるのは、嬉しい事だが、友の死は寂しいし、心が痛む。

 社会事象でも思いつくままに書いても、様々な事が起きた一年だった。イラク侵略戦争の混迷化、戦う国家に衣替えへの一歩前進(憲法改正論議など)、自然災害の多発(世界的に)、犯罪の凶悪化、特に、子供を巻き込む事件の多発、経済市場競争の激化、政治状況の悪化(思考停止の結果か?)、気象変動の顕在化、ネット社会の脆弱さ(個人情報流出、東証での事故)などなど。どれ一つとっても、未来に明るさを見いだすには困難な事ばかりだ。拝金主義で世の中が染め上げられ、街を照らすイルミネーションと同化している。

 カレンダーは締めくくりでも、時間の流れが途切れるわけではなく、解決困難な事柄が、どんどん積み増されていくのだろう。

 夏目漱石先生が『草枕』で、書いてるように、「とかくに、人の世は住みにくい」とは、至言である。漱石先生の時代は、まだしも、情に流されていたのだが、現代は既に『情』すら、どこにあるのか、絶滅危惧種とも言えるかも知れない。政争においても、それが如実に示されたのが、夏の総選挙ではあった。

 歴史は、後生に評価を受けるのだろうが、今、刻んでいるそれぞれの事象が、どのように評価されるのか、みものである。せめてもの救いは、その時代には、既に我々はいないという事なのかも知れない。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そう、その時代に私はいないけれど、私の命が引き継がれて行く事を思えば、やはり、今出きる事を・・と考えます。
生まれ来る命が向かい合う世界が、塵芥で汚れきったものでは、あまりにも悲しいではありませんか。
作り物のイルミネーションの華やかさではなく、貴方が切り取る自然の『光』に溢れた世界に誕生させてやりたいものだと願っております。

匿名 さんのコメント...

蛍の木

TVを見ていたら、エフボタルという蛍が一本の木に集まり、まるでイルミネーションの様に光を放っておりました。オスが求愛行動の為に放つ光ということでした。

時にウエーブの様に、時に一斉に光を放つ様はなんとも見事なものでした。

命を繋ぐイルミネーション・・・人の世界のイルミネーションにもこんな願いを込めたものはありますね。

kurohyge さんのコメント...

>紫さんへ
次代の命は、また、その有り様を自ら生み出すものだと信じては、おりますw

私の画は、借り物の光でしてw(爆)

>くるりさんへ
ミンダナオとか、昔、戦争に行った人も多くその蛍を見たそうですね。
日本の蛍も、その蛍ほどではありませんが、周期を合わせることもあるように、聞いています。

悲観はしてないのですがね。ただ、時流に流れたりは、したくないものです。