2016年7月16日土曜日

反動勢力の増長

「日本会議」と言う自民党国会議員が多数加入している超保守の運動団体がある。安倍自民党総裁も、その団体が主張している憲法の全面的書き替えや、天皇を象徴から外して実体的元首として位置付けへのへんこうの主張に同調していて、参院選大勝で、日本会議もその主張と同化している自民やその同調勢力は勢いを増して、この国を息苦しい国に変える画策を強めるだろう。

2016年6月5日日曜日

何ともお粗末な首相?それとも国民か?

 消費税増税延期を決めたと言う首相が、社会保障政策を人質に取ったかのような発言!社会保障政策の充実について「増税を延期する以上、全てはできない。」だそうだ。

 他の予算を節約して、社会保障政策の充実を図るつもりはないらしい。外務省がサミットのメディア向けに31億円で3日しか使わないメディアセンターを作って撤去するとか。それで「安い」とかほざく感覚が現政権下には充満しているようだ。

 この国の民は、余程のお人好し揃いか、馬鹿なんだろうな。

2016年5月31日火曜日

御用報道を指示

  熊本地震発生時に、NHKの籾井会長が九州電力川内原子力発電所関連の報道に関して、「公式発表をベースに」した報道を指示していた事を、4月下旬に毎日新聞がスクープしていた。

  メディア規制を腹の中では目論んでいるであろう安倍の傀儡である籾井なら、まぁ、あり得ることであり、不思議ではない。今更だが、そのNHKは籾井以前から、報道機関たるべき姿勢をなくしていたと私は思っている。それが顕著に出ていたのが、論説委員が司会をする政治討論番組だ。極端に野党の意見のまとめ方や、発言の制止の仕方に偏りが度々見られ、あからさまに与党贔屓が見られていた。

元々そうした機関であったので、今回の報道に接しても驚きはなかった。そんなところに莫大な受信料を支払っている視聴者こそ、おひとよしと言うべきか?

2016年5月28日土曜日

益城町の惨状

昨日、用事があり益城方面へ出掛けた際に道路沿いに見た光景は、目を覆いたくなるような凄まじい情景だった。益城町役場付近の家屋倒壊の様は、特に凄まじく、道路の両側のほとんどの建物が押し潰れるように倒れていた。遠景にでも記録として写真を撮るつもりだったが、あまりに酷い情景に言葉もなく、写真も住民の方々の気持ちを思うと、とても撮影できる心境にはなれなかった。

私も同じ被災者で、大規模な改修が必要ながらも、かろうじて住んでいた家屋を失うことは免れた。そうした身だから、無神経、無遠慮に被災した我が家の写真などを撮る人がいたら、やはり憤りが湧いてくるだろう。

益城町の直下に布田川断層の帯が走っていた事は、頭で理解は出来ていたものの、普段よく通過していた場所だけに、よもやこれ程の地上破壊を引き起こすとは、想像だにしていなかったのだ。それはそこに暮らしていて今回被災してしまった住民の方々が、みんな同様に感じている事ではなかろうか。

 人生とはある出来事の瞬間を堺に、劇的に変化してしまうものに違いないのだが、その瞬間までは、誰もそのことに気づかないものらしい。今回はまさにその瞬間だった。

2016年4月15日金曜日

活断層型の大地震

その揺れは突然だった。激しく強い短い周期の揺れが襲った。思わず机の下に潜り込む。強い揺れは10秒から15秒位だったろうか。家の大きな柱と根太が軋む音が聞こえた気がした。もちろん障子、襖、硝子戸が激しく振動していたものの、そうした揺れの最中にあっても、倒壊することはないなと直感的に感じていた。本棚等も倒れることなく、棚等から物が落ちたり、飛び出すこともなかった。と、これが第1波の木曜日9時過ぎの地震だった。その後、余震がひっきりなしに襲い続ける中、今日未明1時過ぎに襲った地震波は前回をも上回る強烈で前回より周期の長いユッサユッサと揺らす波だった。
この地震波によって我が家の瓦を含め近所の家の瓦も大きく雪崩れ落ちたのだった。

日奈久・布田川断層帯の破壊活動が引き起こしたものらしい。まだ破壊活動は終わりになりそうになく、まだまだ続きそうだ。

果たして我が家は倒壊を免れるのだろうか?

2016年3月8日火曜日

プロ野球の「名門巨人軍」?の内実

 「名門巨人軍」の野球賭博事件や元選手の清原覚せい剤事件などで、いま最もHOTな話題を集めている「名門巨人軍」なのだが、他の場面では呼ばずともシャシャリ出てくる読売新聞の会長である渡邉恒雄氏は、こういう時に何故に姿を表さないのだろうか?何らかのコメントを表明すべきだろう。「紳士たれ」であったはずの巨人軍の内実が、実はドロドロに汚れまくっていたという事実について、渡邉恒雄氏自身の口からその理由を聞きたいものだ。都合の悪いことには、口をつぐむのなら、新聞の主筆を務める資質はないというべきだ。

 傲岸不遜のリーダーの元にある組織は、その組織員たちも謙虚さを忘れ、自制心すらも消えていくことを、今回の不正連鎖事件は示していると思う。

安倍も応援していた田母神都知事候補

まぁ、極右に限りなく親しいと思わせる雰囲気を持った元航空自衛隊の幹部だった田母神元候補者が、その選挙で集めた資金の使途不明金の件で、事務所の強制捜査並びに検察庁特捜部による事情聴取を受けているという。
この男、候補として登場する前からメディアへの頻繁な露出や過激な発言で知られるようになり、その主張に共鳴する輩達と政治的関心をも持って行ったのだろう。"birds of a feather flock together"の喩えどおり、安倍も田母神都知事実現の応援をしていたことを思い出す。

その御仁が選挙資金不正使用の疑惑で捜査の対象になったというのだから、「何をか言わんや」である。

2016年2月18日木曜日

言動に責任を取れない議員たち〜下衆どころか、滓(かす)以下の輩ども〜

 税金から歳費を給してもらいながらまともな仕事もせず、ひたすら私事(不倫、国会休んで遊び旅行)に多忙だったり、政務活動費の詐取、弁護士の経歴を持ちながら、人種差別発言、また精査を欠いた無責任な発言をする議員達。また極めて物騒な事を平然と言い放つ大臣(例、政治的不公正を理由にした電波停止を公然と言い放つ高市早苗とか)

 どうしてこうした輩たちを国や自治体の議会に送り出すのだろうか?選挙を通して、個々の人物を見極めるのは、確かに至難の業だ。選挙期間も金満選挙防止を理由にどんどん短くなり、表面的要素で決めざるを得なくなっているのも事実だ。

 ただ、政党に属する候補者であれば、そこに候補者として選んだ理由があるはずだが、 いざその人物が不祥事を起こしても、批判の対象に選んだ側の責は問われてこなかったように思う。まぁ、問いようがない部分もあるが、それを承知のうえでも、、政党としての責任ある選択が行われていない事を証明するようなものだと、最近の事例を見て強く思うのだ。

 また、更に思うのは、どうしてこうした極めて異常とも言える行動や発言が政権党の議員の中に頻発するようになったのかと言うことだ。慎重に発言すべきことでも、閂がゆるく、奔放な言動として出てくるようになったのには、必ず理由があるはずだ。

 そういう発言を許す雰囲気が政権党に醸されているからではないかと、私は思う。さらにそういう思い切りよく物を言う輩が起こした政治集団が政党になり、政権党のリーダーもそういう人物等と親近感があるようで、似た者同士なのかもしれない。だから、先に例を上げたような輩たちがはびこり始めているのだろう。

2016年2月12日金曜日

育休中に充実不倫の予定だった?

 まぁ、欲望の塊が人間と言うことであれば、不倫のひとつやふたつ、どうってことはないのかもしれない。しかし、仕事が国会議員というのであれば、立法府の仕事をしているわけだから、少なくとも倫理性が大きく問われるのは、致し方ない。

 ヨーロッパの中でも、フランス等では議員であっても、男女間の様々な事柄には、結構寛容と言われている。 しかし、イタリアのベルルスコーニ首相が未成年者の買春が明らかになった時には、さすがに大批判の対象になった。性的寛容さにもお国柄はあるだろうが、どこまでも好き放題という国はないだろう。

 ただ、この宮崎謙介という人物がどうこうというより、こういう人物を国会に送り出した選挙民の選択眼の無さに非があると私は敢えて言いたい。周辺にいた同僚たちからも「チャラ男」とみなされていたと言うのだから、その性癖がどういうものかというのは、既に分かっていたはずなのだから。

 それにしても、こういう輩を自党の候補として推薦しているという選挙区のその他大勢の政治屋達の眼力の無さが露呈していると言うべきか。

2016年2月11日木曜日

沖縄市議(浜比嘉勇氏)の発言から考えた事

 発浜比嘉勇沖縄市議発言の詳細はニュースソースに譲るとして、普天間基地の辺野古移設や翁長沖縄知事の記事が偏っているとして、「琉球新報」「沖縄タイムス」の購読停止や新聞は公平、公正、中立であるべきなどと開会中の議会質問で発言したらしい。

 ここで「公平(equality)」と「公正(equity)」の大きな違いを論じたところで、彼の人物には理解できないでしょうから、メディアが自ら問い続けなければならない事を考えてみようと思います。

 今、沖縄が置かれている状況確認から始めましょうか。
沖縄県内の
米軍基地関係総面積 231,761,000㎡
米軍専用施設・区域 228,072,000㎡
県土面積に占める割合 10.2%
という事ですが、均しての数字ですから、地域で見ると
北部           19.7%
中部           23.5%
南部             0.6%
宮古             ー
八重山         0.2%
沖縄本島   18.3%
となっているようです。

島によって占有率は異なるとしても、沖縄本島の地域別割合を見ると、もうありえないほどの率という事がわかります。

こんな占領地の様な状態を甘受せよとでも言いたいのでしょうか?

市議の質こそ問うべきと言えます。

山岳遭難について 〜2013年12月富士山頂上付近での滑落 救助出来なかった件〜

 腰椎手術を経た腰の状態ゆえに、最近はまったく山岳へ出かけることもなくなりましたが、冬山の醍醐味や目標を達成した時の高揚感は、いまだに新鮮に思い起こします。そういう私なので、高山の話題やニュースにはどうしても目がいってしまいます。

 ここ最近のニュースで、ちょっと「?」と思った事例について。
全国紙などのニュースによると、2013年12月の富士山へ京都勤労者山岳連盟のパーティーが雪上訓練を兼ねて登山し、頂上付近で4人が全員アンザイレンしたまま滑落し、二人が亡くなり、もう二人も重症を負った。そして、結果的に亡くなった男性一人が、最初の救助時点でヘリに釣り上げようとしていて失敗し、その日に再救助出来ず、翌日救助されたものの、死亡が確認されたという内容でした。その後亡くなったメンバーの遺族が救出失敗の過失責任と損害賠償を求めて訴訟を起こしたとのニュースに違和感を持ったのでした。

 その遭難では別の登山パーティーが救助に参加し、現場での状況の概要をブログで発表しているのを読みました。また、当事者である京都勤労者山岳連盟の遭難報告書もまとめられて、有料で手に入る状態になっているようです。(私は報告書はまだ読んでいません)
亡くなった方がいる遭難について外部者が安易に評論するのも如何なものかという気持ちもあるものの、山に関わっていた事がある私としては、正直、違和感を持たざるを得ないのです。

 登山という行為は、そもそも自己完結を前提とした冒険行為であると私は考えています。遭難した場合の責任も登山を企画した側に当然あるわけです。救助という行為はその実施者が公のものであろうが、私人であろうが、基本的にボランティアであり、善意に基づいた行為以外の何物でもありません。
数年前の穂高連峰で起きた救助ヘリの墜落事故を見ても分かる通り、救助する側は命懸けで出動しているのです。実施者が公的機関だからといって、ギリギリで救助作業をしている中での失敗を、法的に過失責任を問えるのか、そこがどう考えてもしっくりこないのです。

 遺族の方々の「かもしれなかった」という気持ちも理解できるのですが、冬季の富士山での救助作業というのは、いかに経験を積んだ救助隊員達でも、ギリギリでの活動であったはずです。それでも救助要請があれば、自分たちの命をかけて出動しているのです。私は仕方がなかったとしか思えない遭難にしか思えません。

2016年1月17日日曜日

たかがアイドル、されどアイドル?

 芸能界の動向など、どうでもいい私にとっては、いま騒動の渦中にあるSMAPがどうなろうと、全く関心ない。しかし、世間の多くはえらく高い関心を寄せているらしい。

 どうでもいいのだが、今伝えられている情報等から推測すると、4人の軽挙妄動が明らかになって、誠に思慮に欠け、知力のなさを正に世間に晒したと言うべきだろう。芸能界の尺度はそれ以外の世界とは違うから、そうしたメンバーたちであっても、あれこれ手をつくして、ここまで維持できてきたと言える。

 世間の耳目を集め、騒々しさを演出するのも、アホなメディアの仕事の一環でもあろうが、今、私達が注意すべきことは、そんな些末な芸能界の事などではない。いつどこで紛争や戦争に巻き込まれるか分からなくなった日本の行く末こそ、もっと関心をもって中止していくべき事象なのだから。

 ところが、この騒動に政財界のお偉方がご出陣らしいとあるではないか。芸能界からの政界進出も数十年前からあるから、政財界と芸能界もかなり密接な関係があるのだろう。政界人にとっては、票を得るための飾り物として。また、財界は言うまでもなく、コマーシャルなどで切っても切れぬ縁がある。

 まぁ、世間の耳目を日本の危機からそらし、自分たちの利害に直結しない分野に関心を集めるには、こうした事態は好都合なのかもしれない。