2010年9月29日水曜日

中華人民共和国の侵略的行為

今回の尖閣諸島の事件は、中国の漁船による領海侵犯事件であることは、火を見るより明らかな事ですが、それにもかかわらず、強圧的、かつ横暴な中国の反応は、彼の国の本質的部分が明らかになったと言えるでしょう。

そもそも、尖閣諸島には、琉球の住民が作った鰹節工場などの施設があり、その後無人化した島であり、清時代にも、その後の共産化した後も、中国自身が日本帰属を当局関係機関が認めていた事であって、今さら自国の領土だと主張する事自体が、異常かつ無茶苦茶な要求なのです。

しかも、諸島周辺に海洋地下資源の存在が言われ始めた以降に、主張し始めるなど、その動機は見え透いています。一方的にガス田開発を始めた中国に対して、我が国が穏やかな対応をし、共同開発を呼びかけていたにもかかわらず、事件後再び一方的に掘削を始めるなど、隣国と協調していこうという意志すら見えません。

我が国は、憲法において、第二次世界大戦での惨禍を経て、再び自ら進んで火蓋を切る事のない理念の元で、軍備を最小限に抑えてきました。しかし、隣国からこのような形で蹂躙されるようであれば、自国権益防衛の為に、それに見合う用意を始めなければならないのかも知れません。

緊張が生まれるという批判は敢て甘んじなければなりませんね。こちらから仕掛けた事ではないのですから。
中国があくまで覇権を東シナ海やその南方まで広げていく意志を捨てないのであれば、我が国としても相応の対応をしなければ、独立国とは言えないでしょう。

今夜は少しばかり、過激な事を吐き出しました。

下の画像は「asahi.com」に掲載された動画からキャプチャーしたものです

2010年9月25日土曜日

外交力欠如の菅政権

領海侵犯した中国漁船を取り締まるのは、当然の事だ。逃げようとして巡視船に体当たりすれば、公務執行妨害で逮捕して当たり前。
しかし、那覇地検は、日中関係の為に釈放という政治家の仕事である政治的判断を、犯罪を犯し拘留中の中国漁船船長に対して下した。

なるほど検察当局というのは、先に逮捕された検察官同様、恣意的な判断が出来るという事か。なるほど、この国の捜査当局は、そういうことなのか。。

また検察当局に対して、政権側から何らかの指導、指揮があった上で、「釈放」なら、右翼ではないが、あまりにも情けないし、悲しいし、腹立たしくもある。
中国の恫喝に、いとも容易く、両手を上げて跪いて項垂れてしまったのだから。もう、民主党の、いや、菅政権の外交能力欠如を露呈してしまった。どうしようもないな、これは。


2010年9月24日金曜日

中華人民共和国の習癖

著作権は知らぬ存ぜぬで通す習癖
       例えば、上海万博テーマ曲など

恥も外聞もなくコピーも文化と開き直る習癖
         例えば、ブランド商品各種、自動車、バイクのデザイン、

少数民族は弾圧しても、知らん顔という習癖
         例えば、チベット人

何が何でも我こそ、偉大という妄想的習癖
        例えば、 北京五輪や上海万博での国民意識

日本に対しては、被害者意識を盾に威丈高になる習癖
         例えば、サッカーアジア大会

他国から技術導入しても、自らのオリジナルと主張する習癖
          例えば鉄鋼用高炉、新幹線技術

国民の不満を対外的問題にすり替え逸らす習癖
          例えば、尖閣諸島問題

などなど、たくさんあり過ぎて、どうにも止まりません♪

尖閣諸島問題で、振り上げている拳を、彼の国はどう降ろすつもりなのでしょうね?
戦争でも起こす気なのでしょうか?

とすれば、この日本国に正式な軍隊を整備させる絶好の機会になることでしょうね。

2010年9月22日水曜日

大阪地検の信じられない大犯罪 朝日大スクープ!

昨日未明、アサヒ.comに、大阪地検特捜部の主任検事によるFD書き換え記事が載った。一読して、仰天した。
久々、大手メディアのスクープだ。
大きくなる程、新聞とは言え、経営上の都合や様々な理由で公に出来ないこともあるはずだ。特に司法権力に対しては、記者個々人も出入りの中で、様々な人間関係をもっている事だろうし、情実的判断をしてしまう事もあるに違いない。それでも捜査権力の元締めの犯罪は、万難を排して暴かねばならないのだ。それが出来ないメディアは、自らその職責を放棄するのと同じなのだから。

今回の事件では、証拠を改ざんし、言わば証拠を捏造したといえる程の事を、あろうことか、捜査、それも検察官がしたのだから、驚天動地だ。法治国家で、法の正義に絶対的に従うべき検察官が犯した犯罪とは、出てくる言葉すらない。続報によると、大阪地検の上層部もその検察官から報告を受けていたにも拘らず、郵便不正事件で逮捕、訴追したのだから、流れによってはあの女性局長が冤罪に陥れられる所だったのだ。。こうなると大阪地検という組織体が、事実を覆い隠し、法の正義に従う事を放棄し、国民を裏切ったという事だろう。

最高検は、徹底的に大阪地検を調べ、全容をつまびらかにし、国民へ開示しなければならない。でなければ、司法権力を誰も信じなくなるだろう。
そして、このところ冤罪事件に関して叫ばれている取り調べの可視化を早急に実現しなければならない。捜査官さえ信じる事ができないのだから。

2010年9月21日火曜日

尖閣諸島 浪高し

中華思想ってのは、やはり今も強く中華人民共和国のマジョリティーの中に強固に存在していますね。
マイノリティーであるチベット人を平気で弾圧したり、不当な領土問題を強硬に主張してみたり。

尖閣諸島近海に地下資源があると分かった途端、随分と高圧的態度で、支配権を主張し始めたのでした。
第二次大戦まで、日本が中国大陸をはじめ、東南アジア諸国へ侵略をした事実は否定しませんが、その事を執拗に根に持ち、何かと言えば日本を罵倒する中国のナショナリストの行動やそれを助長するかのような中国当局の有り様は、未来に共存しようと建設的指向があるのか、疑わせるものです。

そして、その尖閣諸島の日本領海内で違法操業のある中国漁船を調べようとした海上保安庁巡視船の停戦命令を無視し、あげく衝突させたものを逮捕したことは、我が国の法律に基づく正当な行為に過ぎません。当然の事をしたまでです。中国当局の「日本の挑発」とは、まったく論外の言いがかりですね。ヒステリックな反応以外の何ものでもありません。大国の矜持があるのなら、もっと理性的な対応をすべきでしょう。自らを貶めている主張ですね。

2010年9月14日火曜日

競争、その始原的な

毎日.comの記事に、「京都市動物園:学習のチンパンジー、仲間の死で意欲去る」というものがありました。
京都大学の霊長類研究は世界的にも有名ですが、その京大との共同研究の中で、観察されたものだそうです。

4匹のチンパンジーで、一桁の数字を覚えていく学習を09年5月から開始したそうですが、中でも意欲的に取り組んでいたヨウコ(雌)が09年12月に急死すると、残った3匹の意欲に変化が見られ始めたそうです。つまり意欲が減衰しているらしく、学習時間にも現れているとか。なるほど、競争相手がいないと、やる気が失せるのは、ヒトだけにあらずということでしょう。競争というものは、生物に組み込まれた始原的なものなのかも知れませんね。

今日、民主党の代表選に決着がつき、かなりのポイント差で菅さんが勝利したそうです。サポーターのポイント差が大きかったのでしょう。サポーターや国民世論の動向が国会議員の投票にも影響したかも知れません。
小沢さんが勝てなかったのは、やはり、今まで彼がとってきた政治行動が、サポーターをはじめ、国民に支持され難いものだったからでしょうね。彼の主張には一部共感出来るものがあるのですが、本質的なところで十分信頼出来ない部分があると私などは感じています。

一方の菅さんは、ミドリ十字の薬害エイズ事件で、名を馳せたものですが、首相に就任した後、どうも頼りないものを感じています。迫力不足の感は否めません。菅さんを支持した人達も積極的支持というより、「消去法で考えると」ということだったのではないでしょうか。

誰しも欠点はあるものですから、パーフェクトは望むべくもないのでしょうが、サミットなどでの行動では、もっと堂々とした印象を発して欲しいものです。この前のサミットでは、「自信なさ気」が明らかに伝わっていましたからね。あれでは、外交力があるとは思えなくなります。

どっちであれ、今、この日本はまさに崖っぷち。いや既に足元は砕け始めている状態なのですから、この状況を如何に打破していくのか、その方途を一刻も早く示すべきでしょう。

冒頭のチンパンジーではありませんが、競争相手がいることは、意欲を維持し、高揚させるものなのですから、小沢さんの存在も悪くはありません。お互いより良き競争をして、我々を安心させて欲しいものです。

民主党代表選集会録画リンク

インターネットの今

パソコン通信時代には考えられない程の、すさまじいスピードで様々なサービスが拡大中ですね。通信速度もモデムを利用していた事と比較すれば、光などもう徒歩とジェット機くらいの差があります。それにコンピュータ自体の性能も格段に高性能化して、しかも価格は往時の十分の一か、もっと下回るほどです。

拡大を続けるネットのサービスの中、個人放送ができるサイトが続々と誕生しています。その代表的例は、Ustreamでしょう。他にもStickam、ニコニコ生放送やJustin.Tvなどもユーザを増やしているようです。他にP2P方式を使ったPeerCastもありますが、これは設定の敷居が高いかも知れません。特徴はテキストチャットや音声を通して、双方性をもっている事。以前からあるテキストチャットサイトに比べると、遥かに相互性が強くなっています。単に会話だけにとどまらず、ストリーミング用のビデオエフェクトソフトを利用すれば、送り出す映像に様々な加工を施し、上級者になるとあたかも本格的な放送局並の映像を送り出す事が出来るのですから、驚きです。でも多くは、お互いの映像を映し合って、おしゃべりを楽しむ(以前のチャット場のテレビ電話化?)ことがおおいようですが。

とにかく、こうした技術の発展とともに、このような新しいコミュニケーションサービスが作られているわけですが、それによって「face to face」によるコミュニケーションが取れなくなると、かつて言われていたネット上のコミュニケーションが内実のあるコミュニケーションへと捉えられるようになるのかどうか、まだ分からないですね。実体があるようで、実体の情報の数分の一くらいしか、情報が得られないのが、ネット上のコミュニケーションだからです。しかし、ネットコミュニケーションの最大の特徴は、国内、国外を問わず、その時接続さえしていれば、どんな国の人とも接点をもてるということです。これはさすがに実体をもったコミュでは、限られますね。

こうした利点を考えると、ネットがなくなる事はないでしょう。そして、もっと多くの情報量を得られる時代が来るのでしょう。
やがて3Dでの情報のやり取りができるようにもなるでしょう。さらに今は想像さえしていないようなことが可能になる時代が来るに違いありません。