2005年12月31日土曜日

ありがとうございました^^

 今年も残すところ、あと、数時間。 二月から始めたこのブログも(と言っても、当初は更新も放置気味で(^_^;)、カレンダーの終わりまで、到達する事が出来ました。なんと言っても、それは駄文にもかかわらず、飽きもせず(?笑)読んでくださり、コメントを残してくれた人々、いや、あなたのお陰です。ありがとうございました。^^

 年を越して、来年も まあ 適当に更新していくと思いますけど、良かったら、また、足跡を刻んで頂ければと思っています。

 来る年が、皆様にとって、より良き年になる事を、心から祈っております。

 では、また、来年に^^ 

 よい年を!!

2005年12月28日水曜日

なんだか。。

 年の瀬って、なんだか、気忙しく過ぎていきませんか?
昨夜も友からの呼び出しで、忘年会とやらに。。。
「忘年会」っていう呼び方も、ちょっと変と思いませんか?

大事な人に愛を告白した事、永遠の愛を誓い合った事、
お金を借りた事、ウソをつきませんと約束した事、
「この過ちは繰り返しません」と、誓った事、
官僚政治の打破と、訴えた事、
不正な事して、謝罪した事、
Et Cetera、Et Cetera、、、、、、、

 もう、忘れたらあかんこと、いっぱいあり過ぎて、書ききれませんがな。
都合良く忘れたら、あきませんよねぇ。。。

 しかし、かく言うわたくしも、、、忘れる事に関しては、それは、名人級なもので、、、
「天につば吐く」ことになりかねませんけど。。。(笑)

 まあ、忘れたくても忘れられない事が、たくさんありすぎるから、敢えて「忘年会」をしなければ、「やってられませーーーん」と言うのが、「本音」なのでしょうねぇ。。。

 なんだか、今日は、独り言というか、つぶやきというか、そんなものになってしまいました。。。
良いじゃありませんかね? 年の瀬!だし?(笑)

 気ぜわしさで、慌てたり、転んだり、怪我をしないようにしてください。ご用心、ご用心!

2005年12月23日金曜日

雪でした2

 雪山じゃ、ありません。植木に雪の帽子が。凍った水に閉じこめられた睡蓮の葉も、急激な寒さに凍えているようです。

 しかし、今日はあの寒さも去り、夜には、なま暖かい風と共に、雨まで降り出して、融け残っていた雪も姿を消しました。この気温の差はなんでしょうかねぇ。。。

 この後再び、寒波?何やら落ち着かない天気模様が続いています。

2005年12月22日木曜日

雪でした

 朝、起きたら、一面の銀世界。朝方はうっすらとしていたが、その後も降り続け、13センチほどに。12月にこれほど積雪があったのは、記憶にない位遠い昔かも。。。

 この先、1月、2月はどうなるのだろう?暖冬に逆戻りなのか、それとも?

 クリスマスが好きな人達は、今年はホワイトクリスマスを楽しめるのでは?
 

2005年12月20日火曜日

年の瀬も近づき


 イルミネーションで、街は華やかな彩りをみせている中で、何となく、気忙しく、慌ただしい気分になるのが、年の瀬かも知れない。クリスマスという取って付けたような行事には、興味はないが(と、言いつつ、イルミネーションは、綺麗だと思うが)、一年の締めくくりという年越しは、それなりに準備というか、心構えをしてしまう。なに、大したことはしないのだが、一年の総括とでもいうのか、一応振り返ってみるのだ。

 個人的な事では、長男、長女が家を離れ、大学、高校に行った事、親しい友が亡くなった事など。子供が自立していなくなるのは、嬉しい事だが、友の死は寂しいし、心が痛む。

 社会事象でも思いつくままに書いても、様々な事が起きた一年だった。イラク侵略戦争の混迷化、戦う国家に衣替えへの一歩前進(憲法改正論議など)、自然災害の多発(世界的に)、犯罪の凶悪化、特に、子供を巻き込む事件の多発、経済市場競争の激化、政治状況の悪化(思考停止の結果か?)、気象変動の顕在化、ネット社会の脆弱さ(個人情報流出、東証での事故)などなど。どれ一つとっても、未来に明るさを見いだすには困難な事ばかりだ。拝金主義で世の中が染め上げられ、街を照らすイルミネーションと同化している。

 カレンダーは締めくくりでも、時間の流れが途切れるわけではなく、解決困難な事柄が、どんどん積み増されていくのだろう。

 夏目漱石先生が『草枕』で、書いてるように、「とかくに、人の世は住みにくい」とは、至言である。漱石先生の時代は、まだしも、情に流されていたのだが、現代は既に『情』すら、どこにあるのか、絶滅危惧種とも言えるかも知れない。政争においても、それが如実に示されたのが、夏の総選挙ではあった。

 歴史は、後生に評価を受けるのだろうが、今、刻んでいるそれぞれの事象が、どのように評価されるのか、みものである。せめてもの救いは、その時代には、既に我々はいないという事なのかも知れない。

2005年12月14日水曜日

街は

今宵は、絵を見てお楽しみ下さい。
街はクリスマス色でした。

(場所は下の地図をクリックすると、その場所が表示されます。
IEしか、ポイントが表示されないようです。)


名称未入力

寒波襲来


 昨日も今朝も、夜中に降り始めていた雪が、木々を白く化粧していた。12月の半ばに積雪を見るのは、ここ十数年の間にはなかったように思う。夏の異常高温、そして、海水温の上昇は既に毎年の観測で確認されている。今年の冬の気象は、どうなるのだろうか?

 暖冬が当たり前になっていたので、冬らしい景色を見ると、数十年前の子供時代の冬景色を思い出していた。今の時代のように玩
具も豊富ではなく、外で遊ぶのが当たり前の時代だ。手作りのそり、竹を割って作ったスキー板もどきの道具で滑った事を懐かしく思い出した。

 




2005年12月10日土曜日

またもや。。。。

 悲惨な事件が続いている。子供の命を狙った事件だ。

 昨日は塾の講師がそこの女子生徒を殺すという、何とも言えない事件が起きたらしい。今までの基準ではあり得ない事だ。ほんとに、どうかしてる。立て続けに起きている事件を見ても、「何故」という部分が見えてこない。なにが、どこで、どのように違ってしまったのだろう?

 生き方の手本を見せるべき人達、例えば、政治家、企業のリーダー、各学校の教授や教師、そういう人達が、既に倫理観を失い、犯罪に手を染め、人々に諦めと怒りを抱かせてしまう時代だ。これこそ、末世と呼ぶべきなのだろうか?

 
おおらかで、健やかな夢を抱いて欲しい子供達が、今の社会の有り様をどのように見ているのか、本当に怖い気がしている。

2005年12月9日金曜日

石組みの橋


 以前、シルエットで紹介した橋は、こういう姿をしています。紹介文によると、1845年に架橋されたというから、既に161年の年月を経ているわけですね。単一のアーチ橋式の石橋としては、日本最大とか。両側の橋脚部分を支える部分の石組みも、堂々として端正ですね。
 九州には石橋が多い
のですが、中でも熊本に多いと言われています。その理由はそれぞれでしょうけど、一つは、架橋技術を持った石工の集団(種山石工)がいたからでしょう。彼ら、もしくはその子孫が、全国各地の石橋架橋に関わっていたと言われています。

 江戸の末期とは言え、山あいの谷にこうした大がかりな橋を架けるには、人手も費用も相当なものがかかったに違いありませんよね。重機もない時代に人手だけで作ったんですからねえ。。。 大したものです。

 

 

2005年12月5日月曜日

急激に寒気が、、、

 数日前には、夕焼けが見えた空も、昨日は荒天に。
雨からみぞれに変わり、深夜には湿雪で融けやすい雪ではあったが、地表も多少、雪化粧をしていた。山も今日の午前中いっぱい雲の中で、見えた
時にはすっかり雪化粧。

 長期気象予報では、この冬は暖冬傾向ではなかったのか?まあ、一時的な寒波なのだろうか。。。

 ヨーロッパでは、大寒波が襲い、路上で生活していた人の凍死が相次いだとか。

 それにしても、今年は台風もハリケーンも、ひどい被害をもたらした年ではあった。冬の気象も、なにやら怪し気ではある。

 十二月にはいると、全てが何やら、慌ただしく感じるが、心穏やかで、温かく冬を過ごしたいものだ。


2005年12月2日金曜日

現代のドン・キホーテは。。。

  風車をみると、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を、つい思い出す。騎士物語を読みふけり、一介の郷士に過ぎぬドン・キホーテが伝説の騎士を名乗り、従者サンチョ・パンサを従え、ロシナンテに跨り、既に騎士道がそぐわない世で、様々な奇行を繰り広げる物語だ。
 現代の風車をみて、彼はいかなる戦いをするのだろう。

 今、この国でも時代にそぐわない復古的な言動や行動をなす人々が台頭してきている。軍人戦死者だけを祭った場所を平然と参る輩や、自衛隊の国軍化を唱える輩、高校での「奉仕の義務化」、憲法改正等々。その意図は何かと、思うようなことが、闇の底から亡霊のように、表に出てきている。

 アフガニスタン侵略からイラク侵略へと続く戦乱の中、日本人拉致事件が起きた時、国会議員、特に首相、自民党の幹部、公明党の幹部の発言に、唖然とした事を思い出す。権力の座にある者達が率先して、拉致された人達へ非難の矛先を向けたのだった。その後の烏合の衆の大合唱は、まさに集団的いじめそのものの観を呈していたものだ。
「非国民」という亡霊そのものの言葉すら、踊っていた。

 志を持って行為を行った人に対する態度ではない。まさに、志なき者達の言動に他ならなかった。

 様々な価値観があって、それはそれで意味はある。しかし、他人の命を奪う行為を価値あるものとする人はいないだろう。命を奪う事を正当化してはならない。

 国家に対する誇りとは、強制されるものではなく、各人の心の奥から湧き出すものなのだ。自国民への優しさもない国に、どうして誇りが持てるというのであろうか。倫理に乏しく、誇りなきリーダー達を持つ国民は悲惨である。

 風車を巨人と見て戦ったドン・キホーテは、この国に何を見るのだろうか。。。

2005年11月29日火曜日

旅の夢想。。。

 駅のホームに立つと、何故か旅情をかき立てられるのは、私だけではないだろう。

 夜行列車の旅が好きだ。過ぎ去っていく窓外の灯を見
ているのはおぼろげで心地良い。列車の車輪がレールの継ぎ目を越える音と共に、心もそのリズムに合わせて、様々な想念に没入していく。

 深夜に通過するプラットホームを見て
想う。昼間にはなにがしかの用で、そこに立つ人々。話し声もかまびすしく響いているであろうその場。
 しかし、今はその人々も夢の闇に落ち、ただ深閑としてほの暗い灯りで照らされた
ホームだけが、走り去っていく列車を見ている。別離の哀しさ、期待の喜び、不安や怒りもあるに違いない。一瞬で飛び去っていくホームをぼんやりと見ながら、勝手な夢想だけが続いていく。

ふと、我に返ると、人の気配が消えたホームは、ただ静かにそこにあった。
 
 急ぎ足の旅ではなく、こうした想いを包める旅がしたいものだ。

(画像はJR九州三角線終点の三角駅)

2005年11月28日月曜日

青リンゴ?(笑)

 これは熊本の八代地方で栽培されている柑橘類の一種で、晩白柚(ばんぺいゆ)というものです。大きいものだと3キロほどに太ります。大きさも半端じゃありません。人の頭ほど。

 うららかな日差しの中で、大きな実で枝をしならせていました。今年の玉太りは、夏の影響なのか、小ぶりだそうです。農作物は大変ですね。何せ自然相手の仕事。毎年毎年、同じじゃないのですから。

 熊本の主要産業は、農林水産業。しかし、今その第
一次産業が社会情勢の変化で荒波に揉まれています。なにもかもが激変の嵐の中で、暗中模索しているのでしょう。人口の少子化、高齢化、過疎地の今後は?熊本の山間地の田畑では、農業の大規模化が難しく、耕作放棄された田畑が散見されるようになっています。

 農業の技術ほど付け焼き刃が利かないものはありません。そうした技術の継承はどうなっていくのでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんが蓄えてきた知識と技能。それこそ、今や貴重な知的財産だと思うのですが。。。

 子供達は故郷を離れ、都会で仕事を見つけないと生きていけない時代。お金を得ないと暮らせない社会。「勝ち組」「負け組」という嫌な言葉が踊る暮らし。様々な問題の中で、命をつなぐ大事な食について、ブランドという基準ではなく、当たり前の「食べ物」という視点で、考えていきたいものです。

(ずっと、下書きのまま、置いていたもので、アップが遅くなりました。)

2005年11月27日日曜日

たまには

二人で出たついでに、ふと、思いついて妻と陽が落ちきった海岸をドライブ。
たま
には、良いものだ。ただ、漁り火が乏しかったのが、惜しかった。

風が少し冷た
かったが、心には、ほんわかと温もりを感じながら。
若い時代とは異なり、熱烈さはないが、ちょっと良い感じをお互い持つものだ。車中での会話もいつもとは違う。なかなかよろしい。
この後、二人で食事でも出来たら良かったが、子供が待つ家に直行というのが、まあ、残念と言えば残念ではあった。思いつきの行動を反省。(笑)

これからも誘うとするか。

2005年11月26日土曜日

晩秋を探しに

先日の休みに、九州山地の懐まで足を伸ばしてみた。木々の葉は、すでに色の盛りを過ぎ、枯れ葉を落とし始めていた。

阿蘇方面に向かう。
阿蘇五岳を大
分側から見た人は多いだろうが、掲載した画は、南側からのものだ。北側から見ると、釈迦の涅槃像に例えられる姿を見せる。

阿蘇の外輪山から、南側のカルデラ谷である南郷谷に下る。この谷には、熊本市を貫流する白川の源流がある。火山特有の浸透しやすい土壌のため、カルデラ一帯に降った雨水は地下に浸透し、この谷の各に湧出している。また、その地下水脈は熊本市まで伸びていると言われている。

午後過ぎから出たので、夕日が見れるかと期待したが、日没近くには、西側の雲がまし、寒々しい夕景となった。

2005年11月22日火曜日

有明海の残照


久しぶりに海を見に出た。陽はすでに落ちたところだったが、その残照が美しかった。
潮は干潮で有明海の遠浅の様子がよく分かる。

干潮の潟の向こうに見えるのは、島原半島。
一番高い山が普賢岳である。1991年6月3日に火砕流が発生して、多くの犠牲者を出した火山だ。
この山は江戸時代にも大きな災害を起こしてる。
この時は、噴火と共に眉山という前衛の山が崩落し、有明海に流れ込み、それが津波を起こし、熊本に
きな被害を出したそうだ。これは「島原大変、肥後迷惑」と言われ今に伝わる。 この遠浅の海だ。一旦津波が起これば、波は高くなるだろう。容易に想像できる。

今、 この海は困難な問題に直面している。ニュースなどでご存じの方も多いかも知れないが、諫早湾締め切りと干拓による影響の存否の問題だ。日本でも有数の干潟 の海である有明海が少しずつ変化を示している。アサリなどの貝類の減少、海苔の不作等、豊饒の海と呼ばれた姿からは、ほど遠い海の様相を見せている。

この変化は、単に諫早湾の締め切りだけに限らず、流れ込む河川がダムによって堰き止められ、海に必要な養分の補給が絶たれている事もあるのだろう。
それにしても、人間の浅知恵で大地を加工し、形を変えた結果が、これだ。

しかし、この美しい夕景と同じように、海は声高には語らない。。。沈黙の中でしか。。。

2005年11月20日日曜日

これ分かりますか?

これはなんでしょう?(笑)

干し柿の簾です。年末を前にして、今、最盛期を迎えています。
干し柿の作り方も、地方によって違うようですが、我が県では紐に縦長に柿の柄を止めていくやり方です。
たしか、広島の方では、串に刺して干してあったように思うのですが。

晩秋の青空の下に、柿の簾が連なっている様は、 毎年の風物詩とは言え、美しい色を見せています。


でも、作る農家の人は大変でしょうね。この数を見ると、作業の大変さが思いやられます。勿論、皮むきは機械でするのでしょうけど。

お正月に、干し柿を食べてますか?(笑)
あの素朴な甘さが、私はとても好きなんです。




2005年11月17日木曜日

緑の山と紅葉

この写真は、平野部にある山の様子。
ここは珍しく雑木が残っている。常緑樹の中に
ぽつぽつと葉が色づいている。

今、全山燃ゆるがごとき紅葉という場所を探すのは、至難である。
自然林は、国立公園や植林に向かない場所など、限られたところしかないのが現実だと思う。

戦争により、日本各所の都市が焼かれ、復興のため木材需要が起き、それと共に山の雑木が切られ、杉、檜、松などの建材用途がある樹種が、造林されたからだ。国も植林を推奨した結果、雑木林が、針葉樹植林地に変わってしまっている。
故に、山が季節を問わず、緑色の山となっている。

し かし、時は流れ、エネルギーも薪炭から、油に変わり、木材の需給も変化した今、植林地は手つかずで放置されているところが多い。植林した後は、様々に手 を入れないと、用材として育たない。ところが、木材価格の下落、人件費などコストの上昇によって、手入れに要する費用がまかなえない所まで来ている。
経済林として如何に保つか、これは危機的状況と言っても過言ではない。
手入れがされていない林地は、樹冠が光を閉ざし、地表まで届かない結果、下草が生えず、地肌がむき出しになり、雨などの保水力が失われている。河川の氾濫、山肌の崩壊などを引き起こす要因になっている。

環境保護が叫ばれているが、山の現状をどれほどの人が知っているのだろうか。
その経緯を知り、そこでいかなる暮らしがなされているのか、理解した上で、問題を考えて欲しいものだ。

全山燃ゆる紅葉は美しい。だが、日本の山の現状は今言った通りだ。
紅葉狩りのついでに、いつもは見ない山の様子など、見てみるのも無駄ではない。

2005年11月15日火曜日

秋の蜘蛛と空

蜘蛛の営巣を、何もないところからご覧になった事はあるだろうか?とても興味深いものだ。

種類によって、かけ方は違うのだろうが、私が中学生の時に、たまたまその機会を得たのは、名前は分からないが、夕方頃から姿を現す大型の蜘蛛のものだった。

軒から一本の糸を出しながら降りてくると、途中で止まった。ほとんど風はなく、見ていると蜘蛛の尾部から、ほとんど見えないくらいの細い糸を放射状に出し始めた。歌舞伎などで見る「蜘蛛の糸」だ。

それがほんのわずかな風の揺らめきで、一本の糸に撚れていき、どこかにその端が絡まると、そこから網の作成を始めたのだった。

自然の中での出来事は、当たり前すぎて知らない事が多いが、見る機会があると、本当に不思議な物が多い。

写真は「ジョロウクモ」が、「ネズミモチ」という木で、獲物を待っているところ。
しかし、その姿は、秋も深まり、飛び交う虫も少なくなっている中、寂しそうではあった。

2005年11月7日月曜日

月浮かぶ宵、明星と共に


出かけた帰り、日没後の空を見ると、月と金星がくっきりと見える。

早速車を止め、カメラ片手にポジションを探す。
しかし、三脚を乗せてない。。。手持ちじゃブレてしまうし、どうしよう?
ガードレールを支えに撮ってみたが。。。うーむ、微妙にブレている。

ニュースでは、今日「黄砂」が観測されたとか。この宵の空の感じでは、黄砂もほんのわずかだったのだろう

二枚目も場所は違うが、ススキを前景に入れてみた。「立冬」の雰囲気は出ているだろうか?

ひんやりとした空気の中に浮かぶ宵の月と明星。見上げると、秋が深くなった事を肌で感じた。

(注記)画像をクリックすると、大きくなるはずですが、アップロードし直しても、サーバーにアップ出来ないようです。

2005年11月3日木曜日

空、二色

観天望気と言う言葉がある。空を見て、天気を予想することだ。
山に登っていたせいか、よく空を見る。

空の色は、ひとときも同じ色をしていない。暁から漆黒の夜まで、刻々と変化し続け、さまざまな色を見せてくれる。

光あふれる雲も好きだ。

夕景はさらに、その変化が余韻に満ち、静謐な時間へと導いてくれる。

雑然とした時間の中で、空を見上げる心地よさを味わうのは良いものだと思う。
お試しあれ。




2005年11月1日火曜日

夕闇のシルエット

透き通るように晴れた空の夕景だったので、ちょっと、石橋を見に行った。
江戸の末期に架けられた石橋が、県内各所にある。
これはその一つ。

単なる橋なのだろうが、鉄で作られた橋と違い、その佇まいは、堂々として、周りの風景に調和していた。


150年以上の時間の流れの中で、どんなものを、この石橋は見ていたのだろうか。

ふと、そんな感慨にとらわれてしまった。

2005年10月30日日曜日

旧交を温める

昨夜は高校の同窓会だった。卒業以来、案内があっても、ほとんど顔を出していなかった。
だから、数十年ぶりに会う友人もいる。
会場に向かう道すがら、考えた。顔が分かるだろうか?お互いに(笑)

会場に到着。
部屋に入る。

おっと!!

何度かあってる奴は、分かるが、後はおぼろ(笑)
すっかり髪が白化してる奴もいれば、残り少ない奴もいる(笑)
時の経過は無情なものだ。。。(苦笑)

酒宴が始まり、お互いに名前を確認(笑)
幸いにも(?)私の名前は顔と一致する奴が多かったのだが、
私の方は、その相手の顔と名前の一致が。。。(変わりすぎてる方が悪いっ! すまんw)
しかし、親しみの度合いが、本当にあるというのが、顔の記憶だと思う。
当時、親しかった奴は、顔の変わり様が凄くても分かるものだ。(笑)


そう思いつつ、若かりし頃の思い出話に、座が盛り上がり、近況を交わしあった。
子供、仕事などなど。団塊の世代である我々だから、この年になれば、今までの人生に悲喜交々、それぞれに起こっていて不思議ではない。
盛り上がりの中にも、そういった感覚を抱いたのは、私だけではなかっただろう。
人生とはそういうものだ。

何はともあれ、深夜まで旧交を温められた事は、良かった。

再会を約し、夜更けの道を帰った。

2005年10月26日水曜日

こんなに。。。

ちょっと、読みたい本があったので、書店に寄ってみた。

全国展開の書店だが、だだっ広い空間に、何列も書棚が並び、カラフルな色に満ちた本がごっそりと並んでいた。

ネットが普及し、書店経営も競争が激しいと聞くが、私が若い頃通ったようなこぢんまりとした書店は、消えて行っているのだろう。

書店経営の厳しさの中、出版物は逆に増えていると聞く。ますます、不可解。
なんでも大型化、消費化なのだろうか?安易に売れるもの、読み易いものに流れる事がない事を望む。読み応えのあるものもが、その中にどれくらいあるのだろうかと、つい、思ってしまった。

取り付きにくくても、読み始めて、その内容のおもしろさに気づくものもある。じっくり読んでみるのもいい。

そう思いながら、4冊ほど買って帰った。

2005年10月25日火曜日

人間ドック余話

現代は、様々な健康ブームですが、その王道は、やはり、人間ドック?(笑)
その流行に流されたわけではないですが、15年前から、毎年一回、ドックを受けています。今年も、昨日、今日と一日半に渡って、ドックを受けてきました。
様々な検査を受けるのですが、中でもそのクライマックスは、消化器系の検査でしょう(笑)

そ の1 大腸内視鏡検査。日本人は直腸から大腸のS字結腸、横行結腸辺りに、最も癌が多いという事で、受けるわけですが。。。ふーむ。。。ご想像あれ (笑)なんとも、情けない姿をさらしての検査。。。 なんせ、看護士(女性)に事前の準備をされるのですから。。平静を装いつつも、内心は如何ともし難い 屈辱感を感じつつ。。。(笑)(まあ、医療行為ですけどね(^_^; )
検査台の前で。。。
看護士「ハイ、じゃ、脱いで横になってください。」(キッパリ)
私「ぁぃ」(モゾモゾシツツ)
看護士「横向きになって、ぐっと膝を抱えるようにして」
私「ぁぃ」(キエイリソウナコエデ)
看護士「もっと突き出すように、こっちに」
私「(^_^;はぁ。。」
もう、これ以上、詳細を述べるのは、、無理。。。続きは体験してみてくだされ。(^_^;

その2 胃カメラ。如何にカメラ&コードが細くなったとはいえ、 まだまだ、喉、食道を通過させるには、太いのでは?と思える物が挿入されるわけで。。。慣 れたとは言え、身体の反射はコントロール出来るわけでもなく。。。 涙目になりつつ、「あー」とも「うー」とも言えないうめき声と共に。。。(笑)
健康管理と思いつつも、やはり、この二つの検査は、情けないったらありゃーしません。。。(トホホ。。)

2005年10月22日土曜日

今頃!?

通りがかった道沿いのブロック壁と、上のフェンス一面に、朝顔?

今頃?と、思いつつ、わざわざ車を止め、確認に。(笑)

やはり、朝顔でした。

朝顔って、こんな時期まで、咲いているものなのか。。。 ちょっと、びっくり。

それにしても、これほど見事に咲いているのは、初めて見ましたね。ほんと。この時期にですよ(笑)
でも、調べてみると、花期って、結構長いんですね。7月から10月10日頃までとか。なるほど。夏の花のイメージが強すぎて。長く咲くものなんだなぁ。

(追記)11/10
この朝顔は、従来の日本朝顔ではなくて、西洋朝顔という種類らしい。品種は「オーシャンブルー」のようだ。宿根性で、霜が降りる頃まで花を楽しめるとか。なるほど、道理で葉の感じが違っていたわけだ。道すがら、よく見ると結構いろんな所で見かける。
ここが詳しい 



2005年10月21日金曜日

市外の夕景


今日、午後から出かけた通りすがりで見た夕景。

刈り取りが終わってない田の向こうの山に落日。

周りの田の稲は刈り取りが終わっている中に、一枚の田だけ、たわわに稲穂を実らせていた。

暮れなずむ秋の夕べの、穏やかな時間が過ぎていた。

そろそろ、各戸に灯がともり始めていた。

(画像は露出を増感したため、明るく出てます。実際はもっと暗い)

2005年10月19日水曜日

光と陰の狭間で。。。


光を撮すのは難しい。写真は好きだが、センスがない(笑)上手い人の画を見ると、羨ましい限りだ。

光と陰、陰と陽、表と裏、、、いろいろある。

人の心に湧き出すものも、いろんな側面を持っているに違いない。水面に映る空を見ながら考えてしまった。

人は弱いものだ。だからこそ、己をしっかりと見つめる必要がある。

物想う秋、ではある。

2005年10月18日火曜日

秋晴れの空と色と

雲一つない空に、赤く熟した柿が、たわわに実っているのを見ると、秋が深まっているのを実感する。

冬に向かっていく秋の空気は、四季の中でもっとも好きだ。

ふと、若い頃、よく登った北アの山々の麓の景色と重なってしまう。頂上部には白い雪がつき、澄み切った空気の中に、空と雪と麓の赤く色づいた樹木の対比は、息を飲むほど綺麗なものだった。

冬山の白一色と晴れた空の青の対比も、まばゆいばかりに綺麗なものだが、やはり、秋山の色合いが、もっとも好きだったように思う。

2005年10月16日日曜日

チャット考

 PCに接し始めた経歴は、それなりに長い。Internetがまだ普及していず、パソコン通信という形で、閉じた契約サーバーの中で遊んでいた時代からだ。チャットというのは、そこで少しだけ体験していたのだが、そこでの会話になじめず、遠ざかっていた。

 最近になって、何となく覗いてみたチャットサイトは、人数も少なく会話のテンポも私の気質に合っていたのだろう。そこに居着くようになって、チャットを楽しんできた。

  そこに集ってくる正体不明の人々との会話も興味深く、会話の中からその人物像を自分なりに想像するのが、何より興味深かったのだ。イメージの世界での繋 がりとでも言うか、会話の中身と想像で作っていく人物像への興味が、私をチャットにのめり込ませた理由だったように思う。

 私が訪ねた頃の、そのチャット場は、人が少なく、それこそ、その部屋の名前通りのものだった。時々入ってくる人々に声を掛け、会話に誘い込んでいくのは楽しみだった。話す内容は様々だったが、雑談程度で結構盛り上がる。冗談を言い合い、適当な距離感が、心地よかった。

 しかし、集ってくる人が増え、その人たちとの距離感が近くなるにつれて、様々な感情が生まれ、戸惑うことも増えてきてしまった。

 分かっていたことだが、ネットであっても、現実に生きている人との会話だ。様々な感情が生じることは自然なことに違いない。しかし、そのことに自分自身が戸惑ってしまったことは意外だった。

 だから、ここらで、もう一度考えてみたいのだ。気持ちを新たにして、考えてみたいと思う。心地よさを維持できるように。そのために、しばし、そのチャット場を離れてみようと思っている。再び楽しく会える日を楽しみにして。ciao^^



 

2005年10月12日水曜日

我が家のアル

 我が家では、私が生まれる前から、犬が絶えたことがない。今まで、雑種の他に、秋田犬、コリー、グレートピレニーズ、など、飼ってきたが、純血種より雑種の方が長生きで、賢いようだ。

 写真は、我が家の忠犬「アル」。当年取って、9歳。柴の雑種だが、なかなか賢い。人が大好きで、どんな小さな子供が尻尾をつかんでも、ちょっと迷惑そうな顔をしながら、遊んでいる。

犬とは、本当に主人に忠誠を誓う動物だ。可愛くて仕方がない。長生きしろよ、アル!

2005年10月11日火曜日

秋の夜長。。。

 秋になると、何かしらその空気がそうさせるのか分からないが、つい物思いに耽ってしまうのは私だけだろうか?激しく、熱い夏が過ぎ、清澄な空気のなかで、心に浮かぶことに想いを巡らしてみるのも、まあ、いいだろう。

 ここ何年かの内に、親しくしていた友人が、何人か亡くなったことは、先の記事にも書いた。一人は事故で、一人は10数年患っていた難病のために。二人と も、私にとって心許せる友だったのだが、その喪失感は、今でも幾ばくか残っている。悩んだとき彼らと話すことで、気持ちを立て直すことが出来たものだ。友 とはそういう存在なんだろう。家族とは異なる意味で、大事な存在だ。

 心を許すとは、どういう事だろう。。何でも言い合える?いや、違うな。。大切であればこそ、言えないこともあるのではないか?友であるからこそ、言えないことがあるように思うのだが。。。心ほどつかみどころがなく、曖昧なものはないからだ。人の心も自分の心も。

 言葉とは、自分の想いや感じてること、考えを伝える手段だが、これほど扱いが難しいものもない。その「言葉」の意味づけが微妙に異なるからだ。物書きは 言葉を「歯ぎしり」して、絞り出すと言うが、伝えられる人の心をつかむには、まさに、「歯ぎしり」するほどの思考の作業が必要なのかも知れない。今の時 代、思いつくままの言葉を流し出しても、さほど気にならないが、「歯ぎしり」まではしなくとも、自分なりに思考を巡らす作業は大事なんだろう。

 とりとめのない事を書いてしまった。ま、いいだろう。これも秋の夜長のせいだ。ハービー・ハンコック、チック・コリアのピアノは、実に耳に心地いい。。。
 

 

 

2005年9月2日金曜日

もうすぐ選挙。。。でもなぁ。。

 小泉忠米総理によって、何とも訳の分らない解散がなされ、またもや、自民党の混乱を利用した選挙戦術を使おうとしている。はぁ、、、何ともはや、、言う べき言葉がない。郵政民営化というお題目だけで、総選挙??全くこの国をどこへ向かわせる気だ?? 国会でも中味がない議論に終始するこの忠米総理は、こ の国に住む我々をどこに、どういう状態にしようというのだ? 信頼出来ない奴だわい。。ったく! 

 それにしても、そのアホな政権与党に 対抗すべき民主党も、全くふがいないではないか。。 岡田君、君の出身党はどこだったっけ? ガラガラポンで、なにやら訳が分らない政党が出来てしまった なあ、、、この国に。共産党の金太郎飴にも、何とかならんのかっと、言いたいが、彼等が言う「自民、民主は同じ穴のムジナ」というのは、当っているわい w。

 はあ、、どうなっていく、この国に住む人々たちよ。 君たちの選択によって、運命が分かれるんだよ。ったく!w

2005年5月13日金曜日

起こりうること

 死は日常的なことでありながら、普通の人々にとって、その事に向かい合うことは非日常的なことだ。命に限りがあることは誰もが知っている。しかし、それを目前に、もしくは目の当たりにすると、人々は戸惑い混乱し、悲嘆にくれる。

 つい先日もまさかと思っていた鉄道事故によって、多くの人の命がなくなった。夢を描いて入学したばかりの大学生や、一家の大黒柱、家族、友人にとってかけがえのない人々が、人間がある一定の確率で犯すであろうミスのために命をなくしたのだ。悲しいことだし、かわいそうだと思う。

 私の友人も一年前突然の事故で亡くなった。ほんの些細な油断か、気のゆるみがあったのか分からないが、死んでしまった。最も気心の許せる親友だったので、私の受けたショックは並大抵のものではなかった。

 しかし、生きていくと言うことは、誰であれ死に直面するリスクを負っているのだと思う。それが理不尽なものであれである。「覚悟」というと、大袈裟だが、これが現代の私たちに必要なものなのかもしれない。

ネットの危うさ

 今日のニュースに、またネットを使った犯罪が出ていた。少女監禁だ。ネットの匿名性を利用したものだそうだ。ネットの匿名性は利用の仕方次第で『両刃の剣』になる。

 ネットの世界が、いつも目にする大通りを歩いているのと同じだという事を知 るべきだろう。大通りを行き交う人々が、どんな人達なのか分からないのと同じく、ネットの世界を跳梁している人達がどんな輩なのか分からない。人殺しもい れば、心優しき人もいるということを。

 若い人達の間で「ナンパ」が至極当然に行われているのを見ると、ネットの世界でも同じなのかと思ってしまう。ネットは顔が見えない世界だと言うことを肝に銘じようではないか。観察する材料があまりにも少なすぎるのだと言うことに、もっと注意を向けておこう。

2005年2月25日金曜日

受験シーズン真っ盛り

 私の子供も今受験の真っ最中だ。しかも息子、娘の大学高校のW受験。親は何とも しようがない。自分達が与えた遺伝子の能力に任せるより他はない。「出藍の誉れ」や「鳶が鷹を産む」などは、はなから望むべくもない。

 しかし、気にしない ようにしていても、どこか心中穏やかとは言えないのが情けない。世間の親とは違うと思いたくても、実は世間並みだったと言うことだろう。

 それにしても進学に伴う費用の馬鹿高いこと。国立大学の学費もうなぎ登りだ。国立大学が富裕層の人たちのための大学になるのも時間の問題だろう。

 今、日本は競争社会へと進路を切り替えた。このまま進めばアメリカ同様、富むものと貧しきものとの格差が広がって極端な階層社会になっていくのだろう。この選択が国民に幸福をもたらすのか、、、

 何はともあれ、社会は変わり、歯車は回っていくのだ。




2005年2月24日木曜日

ブログ事始め

春一番
 今日からブログなるものの事始めだ。思うままに書いていくつもりなので、どういうものになっていくのか、自分でも分からない。まあ、何事も始めてみないとね。
 昨日は関東地方では春一番が 吹いたそうだ。早いのかなあ?平年並みなのか?でも、まだ2月だよなあ。ちょっと早いような気がするが、、、西日本の今年の冬は暖かだった気がする。東の 方は大雪だったようだが、西日本、特に九州では冬らしからぬ暖かい日が多かった。やはり温暖化?そう言えば、天草の海でテーブル珊瑚が定着しているとか。 海水温が上がってきていることの証だろう。じわりじわりと私たちの周りの自然は確実に変わり始めているのだろう。気温が上がれば、森林の植物相も変化する のだろうし、農業への影響は計り知れない。
 地球温暖化防止京都会議で決まった議定書が先日発効したが、最も地球の資源を消費している米国が参加していないことは問題だ。イラクでは国連に代わって責任を果たすなどと言っていたが、地球温暖化に対しては、責任を放棄している。自分勝手な国だ。