2007年2月24日土曜日

「美しい国」と「こうのとりのゆりかご」

「美しい」という形容詞が、さして美しくもない現政権によって喧伝されてる。殊更に「美しい」などと装飾をされると、逆にまっとうな中身を持っているものさえ、醜く見えてしまうのは、何故か?

昨年来、熊本市の慈恵病院で準備されてきた遺棄されてしまう赤ちゃんの命を救うための「こうのとりのゆりかご」設置申請に対して、政府部内から批判的な声が出され始めた。
慈恵病院では中高生などへの性教育
出張講座の取り組みや意図せぬ妊娠で悩む女性達の電話相談などの活動を通して、平成16年以降先進地のドイツの視察を経て、昨年「こうのとりのゆりかご」設置申請を熊本市に対して行ったものだ。(注:赤ちゃんポストと言う呼称はドイツでの呼称であり、この慈恵病院では使っていない)

その申請を受けた熊本市は「前例がない」「法的な問題の判断」など、様々な理由で厚生労働省へ問い合わせをし、今月になって厚生労働省が口頭ではあるが、設置について「不許可の理由はない」との判断をしたばかりだ。そこに先ほど書いたように、

安陪首相「
ポストという名前に大変、抵抗を感じる。親として責任を持って産むことが大切ではないか。すでにそういうお子さんたちに対応するための施設等もある。匿名で子供を置いていけるものをつくるのがいいのかどうか。大変抵抗を感じる。」という発言や

「産む装置」発言の柳沢厚労相「
失われなくてもいい小さい命が生後継続できるという非常にありがたい面がある一方、子どもを他に委ねてしまうのを助長する懸念がないのか」、

高市早苗少子化・男女共同参画担当相の「無責任に子どもを捨ててしまうというようなことが促進される結果になっては元も子もない。議論を深める必要がある」
(以上各大臣の発言要旨はasahi.com2007.2.23による)
など設置の流れに水を差す発言をしている。

それにしてもだ、新生児が遺棄されたり、殺されたりしている現実への対処が現行の施策でまかなえるのなら、こうした遺棄や殺人は起きていないはずではないのか?ところが事実はその逆だから、直接望まぬ妊娠の相談に対応している現場から、「少なくとも赤ん坊の命は救おう」という取り組みなのだ。官僚や政治家の発想の貧しさを悲しむのみである。彼等政治家の発言のどこに「美しさ」があるのだろうか?しかも、取り組み自体への認識すら垣間見えないのだから、情けないという他はない。

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