2010年12月4日土曜日

Wikileaksの存在価値

米国の在外公館と本国国務省との外交公電がWikileaksに流れ、今それが徐々にWikileaksのサイトで公開され始めました。米国を始め、関係国の当局者は一様に非難していますね。

今年4月に同じくwikileaksで公開されたイラク市民虐殺映像でも言える事ですが、国家機関というのは国民に知らせる情報を恣意的に選別出来るという事です。イラク市民虐殺映像について、米軍はメディアから公開要請されても、当初拒み続けていました。wikileaksが公開して初めて認めざるを得なかったのです。

今回の漏洩情報は外交機密公電ですから、米国の関係当局にとっては、相当痛い状況を生むのかも知れませんが、圧倒的な軍事的、そして経済的パワーを持つ国ですから、最終的にはそれなりに誤摩化してしまうのでしょう。
それに外交交渉を受け持つ出先機関とのやり取りなのですから、今、公開された公電にみるような相手国の関係者の性格描写などがあるのは当然でしょうし、ない方が変ですよね。どう攻略するのか、戦術を練るには相手の性格や環境などなど欲しい情報は山ほどあるでしょう。その為に情報関係機関は存在しているのですから。

表沙汰になるのは、御免被りたいという手法を使ったりしている事が、明白になるのは避けたいという事でしょうか?(苦笑)映画「007」などのようなフィクションの香辛料にまぶし、相当確からしさがあっても、ミステリアスな領域に押し止めておきたいのでしょうね。

もともと米軍が研究開発したInternetを利用して、こうした秘密の保持が困難になったというのは、何と皮肉な事でしょうか。ここでいえるのは、Wikileaksはその端緒を開いたにすぎないという事ではないでしょうか?いわゆるデモクラシーというのが国家の支配を蹴って、見せかけのものから、市民個々人の手に移っていく契機になるのであれば、Wikileaksの存在価値はあると言えます。

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