2008年7月19日土曜日

統治すると言うこと

チベット暴動武力鎮圧で批判に曝されていた中国で大地震が起き、結果チベット問題は雲散霧消的に消し飛んでしまった。そして北京オリンピックで国威発揚へ全力傾注なのだろう。

チベット問題だけでなく、地震被害者の救援や校舎倒壊問題追求でも当局の強権発動が見え隠れしている。やはり民主化が言われている中国の独裁体質は、一党独裁国家であることを如実に物語っていると言うことだろう。

大地震で校舎が倒壊した実態やその親たちの手抜き工事への抗議行動を表沙汰にしたりして、当局を批判することは、「国家転覆罪」や「国家機密漏洩罪」で逮捕されることになるらしい。よほど中枢まで腐敗や不正が浸透しているのだろう。強権で押さえつける姿によって、そのことが逆に大きく照らし出されるのだ。

さて、日本である。情に絡め取られて、腐敗のネットワークに組み込まれるのは、大分であれ、どこであれ、あり得ることだ。大分で明らかになった教職員不正(捏造といってもいい)採用は、他県においても、そこの担当者がいくら否定しても信じられるものではない。、社会保険庁をはじめとして、各公的機関の不正、怠慢、隠蔽の実態の顕在化によって、信頼できるものだという根拠がどんどん失せている。その内、統治機構そのものに対する不審が増大しそうだ。

政権の交代があっても、どこまでこの国の暗部をえぐり出し、少しでもまっとうなものに出来るのか、はなはだ心許ない。「同じ穴の狢」の誹りを受けない自信が、民主党をはじめ野党にどれほどあるのだろうか?

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