2008年7月22日火曜日

昔は良かったと言うことではありませんが‥

雨季が終わって、熱波の季節が到来しました。庭では蝉時雨も盛んです。温暖化が言われ始める前は、この時期優勢に聞こえていたのは、「ジリジリジージー」と鳴くアブラゼミだったのですが、今は「ワッシワッシワッシ」と鳴くクマゼミの音があふれています。以前は樹木のそこここに止まっていたアブラゼミをほとんど見かけません。

子供の頃、夏と言えば蝉とりを自作の網でしたものです。アブラゼミは樹木の低いところにもたくさん留まっていて、簡単に採れたました。クマゼミはアブラゼミより警戒心が強く、しかも樹木の上部にいることが多く、アブラゼミより大きく翅脈が緑がかり透明で、捕獲した時は貴重品を手に入れたような感覚を覚えました。そのクマゼミが今は場所によっては、低木の枝に鈴なりに留まっていたりします。南方系のクマゼミの適温になっているということでしょう。

蝉とりなどの他は、もう川遊びですね。当時、学校にプールがあるのは都市部くらいで、田舎育ちの私たちの泳ぎ場は、もっぱら川でした。一応、学校から遊泳にむく場所が指定されていて、増水などの危険がない時には「白旗(だったと思う)」が掲示されていました。遊泳禁止の時は、赤旗でした。学校から委託された監視員さんもいたような記憶があるのですが、そこは長閑な昔のこと、常時監視しているはずもなく、旗を立てに来る時くらいしか、いなかったのではないでしょうか。

そこは瀬や淵があり、深いところは3メートルくらいはありました。もちろん魚も多く生息していて、素潜りしながら、これもまた自作の矛で魚を突いたり、身体が冷えると日射で温もっている大岩で甲羅干しです。親が同伴するということもなく、近くのガキ大将を中心に、子供だけて遊んでいたものです。今の時代から見れば、考えられない危険だらけと言うことになるかも知れません。しかし当時は、親たちも、もちろん私たちもそれが当たり前という意識でした。

ニュースサイトを見ていたら、こんなニュースが報じられていました。死亡事故を受けての措置だそうです。責任追及をおそれるあまりの過剰な反応としか考えられませんが、それにしてもこんな対処しか出来ない福島県教委って、必要なのでしょうか?人間を育てる覚悟というものが感じられない対処法です。大分県教委といい、教師集団を統括する部門がこの程度では、この先、教師に教えを請うのではなく、自学自習で世界を知るしかなさそうです。

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