2006年5月28日日曜日

やっぱり

 福岡市の小学校の半数近く69校の通知票で、「愛国心」に関するランク付けが行われていると言うニュースを見た。教育基本法の改正案は、まだ国会で審議中なのにも関わらず、既に先取りという形で児童の心のチェックを始めているという事だ。通知票の項目は、校長の裁量である程度決められるらしい。人の心の有り様をチェックし始めたというのは、ついに「思想、心情の自由」が危機に瀕している事を表している。心まで統制されることの怖さを、日本人は戦前に経験したのではなかったのだろうか?共謀罪に伴う密告制など、治安維持法で取り締まられていた時代を彷彿とさせるものだ。

 憲法改正論議、自衛隊法改正、防衛庁から防衛省への昇格問題、共謀罪、教育基本法改正などなど、総合的に見てみると、日本が国際的な信頼を得るためという理由付けが、
オオカミの正体を隠す羊の毛皮のような気がするのだが。。。いや、気がするというものではなく、既に羊の毛皮すら脱ぎ捨てて、その正体を露わにしてきているのだろう。

 先の通知票の問題でもそうなのだが、おおきな権力がある方向を示すと、手をすり、ごまをすりながら、その意向を先取りする輩が、出てくるものだ。それと共に付和雷同していく人々が増えてくる。そして、心ある人々は沈黙させられていく。本当に、本当に危険な兆候だと思う。戦後の総決算というお題目で、心の有り様まで変えられるのは、まっぴらゴメンだ。

 

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私が「愛国心」と言う言葉を直接聞いたのは
空港で仕事してる時の日系ペルーの友達から
聞いたのは最初で最後かなぁ・・
日本人からは聞いたことがなぃです

近代の日本で愛国心について教育するのは
難しいような気がします
正しく愛国心について説明できる人って
自分も含めてですがなかなか居ない気が
します

なんて難しいことは語れないので
さらっと流して下さいね(アセアセ

一番言いたかったのは 白い花びらが
沢山あるお花が素敵だなぁ^^ って
事でした(最初からこれだけ言えがよかったかw

匿名 さんのコメント...

このニュース、日本語放送で見ました。
「愛国心」は、本人自ら感じる取るものでは?と思うのだけど、無理でしょうね~(素
アメリカだって、きっとやったらめったら、国歌を歌わせたり、国旗に敬礼することによって、なんとなく「愛国心もどき」を感じるのでは?
でもね、日本を長く離れて暮らしてると、「愛国心」って芽生えるかも!
日本の文化、気質、環境のことなどなど、本当のことを伝えたい!知って欲しい!って思えるんだよぉ!
そして、何よりも「日本は素晴らしい!大好き!」って思うのです!
だから、みんな一回、外国に出て、日本を外から見れば良い・・・これもマジ。日本は本当に素晴らしい国です。(一部は除くけどw

kurohyge さんのコメント...

>ポンッ!デ リンさん、みささん
人を愛すると言う事も、いろんな形があると思うのですが、人は生まれたり、育ったりした所にも、様々な形の「想い」はあると思います。それが良いものだけとは限りませんよね。懐かしさとかは、良い想いの一つでしょう。でも、「恨み」を抱く事もあるかも知れません。悪い印象しか、ない場合には。こうした「想い」というのは、心を持つ人間であるならば、当たり前にある事だと思うのです。

国家観というのは、簡単に論じられるものではありませんが、緩やかな枠組みであった方が、私は良いと思っています。おおらかで柔らかい枠組みの方が、快適に暮らせると思っているからです。内心の自由さ、柔軟さだけは、回りから強制されたくないと思っています。

  ふるさとは、遠きにありて思ふもの
  そして悲しく歌ふもの
  よしや うらぶれて異土の乞食になるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさと思ひ涙ぐむ
  その心もて
  遠き都に帰らばや
  遠き都に帰らばや
          室生犀星『小景異情ーその二』より

国外に出ると、「日本」が故郷になりますよね。それはよく分ります。文化も習慣など多くのものに違いを実感します。だからこそ、より良い故郷の国であって欲しいものですよね^^

匿名 さんのコメント...

お久しぶりです。難しい、お話だなぁ~と、思ったのですが、私なりのコメントです。
 心の成長は、自分が実際に体験したりする中で得るものだと思います。でも、最初の一歩の、心の基本教育は、必要だと感じます。それは、とても簡単な在り来たりな物です。人のものを、取ってはいけないだとか、人を傷つけてはいけない。また、傷ついた人へは、どう接してあげるかとかでかです。
 子供の担任の先生に、驚く質問をされたことがあります。『お子さんを、どのように育てられましたか?よい悪いが、判断できるとても優しい子なもんですから。』・・・と
私は、驚いて、なぜかと逆に質問をしました。すると先生は、「この頃は、よい悪いが判断できない子がほとんどなんです。」と・・・土日を、お休みにした分、道徳の授業が、減らされているようです。そちら方面の教育は、各家庭で・・ということなんでしょうが・・・・考えさせられました。
 

kurohyge さんのコメント...

>あまのさん
お久しぶりです^^
あまのさんのお子さんの先生の話は、極端な例かもしれませんが、確かに、子供達の心の中に、もっと素朴な時代では見られなかったような行動を見せる例がありますね。例えば、小学生女子が同級生を殺してしまうとか。。。
そういう極端な行動に走ってしまうのは、何故か。。簡単に答えは出ないでしょう。多分、どこにでもいるような子供だったはずです。

私の疑念は、いわゆる「道徳」とか「愛国心」等というものが、教科で教える種類のものかどうか、と言う事です。子供はまず、親を見、育つにつれて学校や地域の回りの大人を見、そして、本や情報、体験を通して、世の中を知っていくのだと思います。そうした時、手本となるべき大人の性悪な行状が否応なく情報として、どんどん入ってくる時代です。学校で教わる事とおおきな乖離がある世の中であれば、どうなんでしょうか?

私は「徳育」を否定しているわけではありません。私も子供には「良心」「思いやり」をもった人間になって欲しいと願っています。ただ、今、国が進めて行こうとしている事の裏側に、きな臭さを感じているために懸念しているのです。(^^ゞ