2006年10月12日木曜日

争乱化の兆し

北朝鮮が地下核実験実施の発表をした。爆発後の地震測定結果は、核爆弾開発上で想定されていたものより、かなり小規模という。本当に核爆弾だったかどうかを疑われる所以だ。様々な論評がなされているが、まだ推定の域を出ていないものばかり。これがブラフだったら、周辺各国の慌てぶりを彼の「将軍様」は、どう見ているのだろうか?「してやったり」なのかも知れない。
本当に核爆弾の実験であれば、以ての外であることは言うまでもないのだが、
このような危機なればこそ、冷静な判断、分析が最も必要だ。

今の北朝鮮の有り様は、太平洋戦争に突っ込んでいく時のかつての日本の様相と似ていなくもない。ナチスドイツ、ファシストのイタリアと同盟を結び、他の国々とは没交渉になり、様々な制限を加えられた結果、国際連盟を脱退し、ついには米国と火蓋を切ることになっていくのだった。日本の場合は、それ以前に朝鮮半島、中国大陸に既に植民地も作っていたのだが、国家とか体制などに重きを置く場合、ある種の狂気に包まれると合理的客観的判断が出来なくなるのだろう。その戦いの結果、惨敗を喫し、あの「日本国憲法」を定めたのだと私は思う。確かに、改憲派の人々が言うように、全てを日本人が作り上げたのではない。しかし、戦いの辛酸を舐めた当時の国民の多くは、高く掲げた「戦力の不保持」に未来の燭光を見、そして希望を抱いたに違いない。北朝鮮の指導者には言いたい。「かつての日本を見よ!今の姿勢を続けるなら、衰退と荒廃しかない。」と。

新米の首相である阿倍氏は、憲法改正とともに教育基本法の改正も所信で述べている。子供達に規範意識を醸成する必要があると。その規範を意図するところの行き着く先は、何だろうか?社会、すなわち国家が第一位にあって、その欲することに異議を唱えない規範意識ではないのか?民主主義という皮を被っただけの国家第一主義が心棒に据えられるのなら、ご免被りたい。腐敗事件を起こし続けてきた政界、経済界の要人達の姿を子供達が見聞きして、今のような大人不信の土壌を作ったということも否定出来ないはずだ。子供達は、単に大人の鏡として、その姿を見せているに過ぎない。

指導者達の過ちを正せる社会であり続けたいものだ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

指導者の過ちを正せる社会ーそこに、果たすべきおのれの役割は?と思うとき、しっかりとした感性を持っていかなければと思います。
まずは、自分のいるところで・・と考えます。

kurohyge さんのコメント...

>名無しさん
感覚と共に、どう動くかでしょうねぇ。。w
それぞれの方法でするしかないのは、当然でしょう。はいw