2010年8月22日日曜日

考 阿久根問題

衰退していく地方市町村が抱える問題は、ほとんど共通している。過疎、少子化、若者の働く場の確保、過疎や都市圏の大型店進出による商業などの衰退などは、どこも同じだ。町起こしや住民の知恵だけで乗り越えられる部分は限られている事も共通している。

その同じ問題を抱えた阿久根市で、今の市長は選ばれた訳だが、それはまさに市民のやるせなさと欲求不満のはけ口を求める心情が、役人の怠惰さと議会の無能力などの批判へ向かい、選挙ではそれを利用した結果だったのではないか。そして、資質的欠如のある市長を誕生させた。
阿久根市で起きた事は、阿久根市に限らず、他市町村でも十分あり得る事だとも言える。
議会と役人の怠惰など、多くの市町村にも見られるのだから。

例えばヒットラーという独裁者も、第一次大戦後の戦争賠償や世界恐慌という経済的疲弊の中で、市民の不満、欲求のはけ口を利用して誕生したのだった。
どうやら、人間と言う生き物は、追い詰められると客観的判断や冷静な分析が出来なくなる生き物のようだ。

今、我々を取り囲んでいる状況は、明示的ではなくとも、そういう危険な状況を生む前夜と言えなくもない。それが、たまたま阿久根市に現れてしまったという事なのだろう。本当に危機的な状況を生むのは、これからなのかも知れない。

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