2010年10月2日土曜日

検察の独善が国民を危うくするの巻

今回表に出た検察官の犯罪は、検察官がその気になれば、無罪でも有罪で起訴されてしまう事を実証したと言えます。実際、起訴されてしまったのですからね。裁判の過程で、無罪が証明されたから、良かったものの、起訴された人が失った時間は取り戻す事は出来ません。

検察官というのは、独任官庁という性格を持っているそうです。wikipediaによると『「検察庁」は「検察官」の事務を統括する官署に過ぎず、行政組織上の検察官は建前上一人一人が独任制の官庁として、単独で公訴を提起し公判を維持する権限を有するが、職務執行上、上命下服の関係に立つ』ものだそうで、しかも権限は「検察官起訴独占主義」と「検察官起訴便宜主義」など、大変強力な権限を与えられています。

こうした絶大な権限を有している検察官には、モラルも至高なレベルが求められているはずですよね。しかし、その極めて高くあるべきモラルの維持がなされていないという事が、如実に示されてしまった訳です。

しかも、それが個々の検察官だけではなく、職務遂行上の上席まで疑われるべき行動をとっていたとは、組織的と見なさざるを得ません。証拠物を加工するなぞ、絶対にあってはならないはずではありませんか?それが、たとえ過誤によるものだとしても、それを検証もせず伏せるなど、強力な権限を有している立場では、尚の事、あってはならないはずです。組織防衛に走ったとしか、思えませんよね。

こうした事実を見せつけられると、今回はたまたま露呈したに過ぎず、過去にも捏造や冤罪が作られてきたのではないかという疑いが濃厚になってきます。

公的機関は、いままで過ちを過ちと認めない傾向が、この国では続いてきました。明らかに過ちであったとしても、決して認めず、官僚による巧言や誤摩化しで有耶無耶にしてきたと。国家に瑕疵はないなど、どう考えてもあり得ないですよね。瑕疵があれば、謝罪し、見直すべきでしょう。それは、司法機関でも同じです。

今回の件は、検察だけにとどまらず、警察機構も含めて、そのあり様を検証すべきだという現実を我々に示したものだとも言えます。特に捜査、取り調べの過程の厳密な可視化は、絶対に必要でしょう。そして、もし我々が取り調べを受ける側に立ったとしても、誘導されたり、話してもいない事が書かれた調書には、絶対に署名押印をしないことだと。

それにしても、国家権力ってのは、ほんとうに恐ろしい事でも出来るんですねぇ。。。怖いですよ。

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