2007年12月15日土曜日

心、その奥に広がる闇

何とも理不尽な事件がまた起きましたね。昨夜、佐世保のスポーツジムで銃乱射が起き、二人の方が亡くなってしまいました。その犯人と目される人物もまた、その銃で自殺‥

USで頻発する同様の事件は、USの銃社会を現す事象と見てきましたが、あそこまでひどくはないと思ってきたこの国の様子が、実はそれほど安心できるものではない事を示しているのでしょうか。しかし、この国でも銃を使用した殺人は、従来から起きています。暴力団が関わる事件ではよく見受けられる事でした。しかし、それは一般の社会とは隔絶した特殊な社会の争いの中での出来事と安易に考えていた節があります。昨今はアンダーグラウンドの市場を通じて、一般社会の中にも流通が見られる事は、指摘されてもいます。

人の命を奪う手段は、武器と呼ばれるものだけではありません。が、この事件の衝撃は、銃乱射という事もありますが、「何故?」「理由は?」と問うても、判然としない事もあるような気がします。まだ捜査が始まった段階ですから、判らないことだらけは仕方がないのかも知れません。しかし容疑者が自殺してしまった今、仮にその人物が本当に事件当事者だとしたら、本人の話を聞き出すことは不可能です。本人自身にも何故そうした行動を起こすに至ったのか、はっきりとした自覚があったのかどうか‥こんな訳が分からない事件は、起きて欲しくはありませんが、今に始まったことではありません。もっと凄惨な事件すら、昭和十年代に起きているのですから。しかも山奥の村の中で。(津山事件)

私がここで思うのは、人の心の中の複雑さと言うことです。己すら説明の出来ない激情や心理状態にもなりうるのが、人の心なのでしょう。心理学や脳科学でも、まだまだ科学的な説明が出来ないことが多いのも事実です。私たちはこうした事件を起こした人物を、ともすれば「異種なるもの」「病的なもの」として、己や身の回りから排除して考えがちになります。しかし、「己の心の中にも忍び込むやもしれぬもの」と考えると、現象の見え方も変わってくるかも知れません。誰しも心の闇を持ちうるし、誰もが犯罪を犯すとは言えないものの、犯すかもしれないのですからね。自暴自棄になると制御は困難になるのでしょう。

格差社会、自己責任と叫ばれる今、心の闇を広げる人が少なくないでしょう。心の平衡状態を維持する為には、自分の努力もさることながら、周りの関係も大事だと言えます。「捨てる神あれば、拾う神あり」というように、「見捨てられない」ということが重要なのだと思います。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この記事見ました。私も驚いだ。
人命事件には世界の所々にある。だが、
犯罪した人たちはどんな動機で人殺し、不解の問題だね。

まるでアンジェルと悪魔ように、人の心にいるわけだ。雲さんは感じたことがあるか?

悪魔があり過ぎると、どんな悪事でもやる。
自分自身の意識喪失、恐らく自殺、殺人までもやるだろうね。

 

kurohyge さんのコメント...

>佳玲さん
人の精神ほど複雑なものは、ないでしょうね。自分でさえコントロール出来なくなるものだから。

だから、バランスを維持する工夫が、大事なんじゃないかなぁ?
それと信頼できる人との関係も、ね。