2011年4月9日土曜日

大震災の教訓〜思った事その2〜

津波の教訓は前に書いたのですが、今夜はこの複合大震災から学ぶべき教訓というか警告について考えてみたいと思います。

地震や津波というのは、プレートがせめぎあう上に位置する日本列島にとって自然現象です。ですからこれ等は避けようがありません。受け身の中で、どう自分達の命を守るかという点に尽きます。

しかし、付随して起きている原子力発電所の事故や大規模停電、ライフラインの断絶というのは、ある設計想定の元に作られた人工物ですから、その限界を超えた作用を受けると、いとも容易く今回の事故や混乱を引き起こす事が分かりました。高度かつ複雑になっている現在のインフラシステムというのは、大きな脆弱性を持っていることが証明されたともいえます。

そして、その設計想定というのは、絶対に安全なものはなく、一定の想定の元に経済効率性や費用対効果(?)によって作られている事です。というのも、原子炉設計に従事していた技術者が上司に安全上の不安があり設計変更を上申した際、上司が「1000年に一度の地震に合わせていたら、設計なんて出来ない」などの話があったり、原子力安全委員会すら、今回のような規模の地震や津波は考えていなかった事、そして最も驚いた事は、「全てのバックアップシステムを喪失するという事態を想定していなかった」という事です。しかし現実に全てのバックアップシステムを喪失して、大変な事態を招いてしまいました。

原子力エネルギー政策推進というのは、自民党政権下で強力に推し進められ現在に至っているのですから、彼等が民主党政権による今回の事故対応について、無反省に責められる訳がありません。自民党にも大きな責任があります。前にここでも書いたように、国会の公聴会で神戸大学(当時)の先生が、地震の危険性を警告していたのですから。

もちろんだからと言って、現菅政権と政府の対応を無批判に受け入れる事も出来ません。見る限り危機管理が的確になされたとは言えないからです。当初、情報発信主体が事業者である東電依存であり、原子力安全・保安院は最初の会見でその情報収集力のなさを露呈していました。何故、内閣情報集約センターがあるはずなのに、そこが主導的に情報を出さなかったのでしょうか?ここはあくまで官邸用の情報集約機能しかないのでしょうか?あまりにもお粗末すぎたと思います。しかも速報すべき事象の変化や様々なシミュレーション結果をそれぞれの機関に公開するような指示を出し遅れていました。これ等の事が国民だけでなく、国際的な信頼性喪失を招いたと言えます。
指揮権を東電から取り上げなかったのは、責任を負う事を怖れたためでしょうか?官僚的体質から考えるとそう疑いますよね。事態の大きさに怖れをなしていたと言われても仕方ないですし、「仏作って魂いれず」のシステムが目立ちすぎます。それともそういう仕組みがない?

ただ、政治的動きに付いて、こういう非常事態に乗じて政局的動きや分別のない連立など以っての外です。今、私たちが注視しなければならない事は、政治家の資質と品性です。

またそれぞれの官邸や省庁下に設置されている原子力安全委員会などの審議会に属する専門家が、十分にその役割を果たしていたのか、いるのか、大きな疑問です。情報開示のあり方にも不自然さが見られます。(例えば、SPEEDI等による原子雲拡散シミュレーションの開示や気象庁による解析結果開示など)その不自然さというのが、これ等の省庁以下の専門家集団が国民の安全より、産業界へ重きを置いた判断をしていないかという疑いから出て来るものです。どうなのでしょう?

何も戦争などに限らず、このような有事への対応力こそ、各国から分析されていると思うべきです。その判断を誤れば、国際的評価を減じる結果を残すでしょう。

そして、近い将来、東海、東南海地震という今回の規模と変わらない災害を引き起こしかねない事があり得るのですから、前轍を踏まないように能動的で実践的システムを構築しなければならない事は言うまでもありません。

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